[山形市]七日町四丁目・五丁目 七日町の奥深さを思い知る(2025令和7年11月29日撮影)

あまりにも寂し気。
「ポツラポツラて柿の灯が点いではいっげんとよ」
それが尚更侘しさを助長する千歳館。

「あれぇ?こごなんだっけぇ?」
建設会社の方に聞いてみた。
「のノ村だっす」
石造りの蔵と紅葉と太陽の光りを反射する車二台だけが、
「広い敷地で何したらいいが分がんね」と呟いているようだ。

お寺さんが散在する七日町。
ひょいとつくばいを覗けば、水面では産毛の浮き上がった草が光りの粒と遊んでいる。
「霜で凍えでるんだど思たらんねんだっけな。この季節だがらよぅ」

雑多な美とでもいおうか。
「雑然としてでもなんだが心が和むのよねぇ」
見向きもしない雑然を初冬の日差しは見事に芸術へと昇華させたんだなぁ。てがぁ。

「ススキも終わりだがはぁ」
真っ青な空を手繰り寄せようとしていた力は今はない。

「背伸びしすぎんねが?」
「まだ、雲ば掴まえっべなて幼稚な御伽噺のつもりが?」
文句をいう私には構わず、真っ赤な葉は真っ青な中に溶け込もうとしている。

光明寺前のススキは直立して雲たちへ一心不乱に手を振るばかり。

どうしたものか。
自転車はとりあえず木の間に辿り着いた。
さてその後はどうする。
今から寒い冬だぞう。そろそろ雪も降っぞう。

銀杏は四小のシンボル。
でもここは五小。
銀杏の葉っぱは姉妹校にならねがと、はるばるフェンスまで辿り着いたか?

桜のころは見事なもんだげんと、
今は空に網を張ったような寒々しさ。
歩く人も俯き加減。

「七日町てほんてん奥深いずねぇ」
「大沼どが水の町屋どがほっとなる広場だげんねのよ」
マルヤマ商店さんが気の毒そうに語りかけてくる。
「あのぉ、こごは東原町なのよ。道路挟んで向いが七日町五丁目っだな」

「しゃますさんなねな」
軽トラは背中に銀杏の葉っぱが山ほど。
ギンナンも混ざっているから、どこへ運んでも臭い顔をされるのは間違いない。

太陽の光は低い位置にあるものの、その光りは力強い。
葉っぱの葉脈は透き通り、赤い粒粒も光りに溶け込んでしまいそうだ。

「路地の楽しみはこれよ、これ!」
白菜はコンクリ塀に載せられ、その葉脈はミャクミャクと鼓動を伝えてくるようだ。

「こっちは青菜が。なんだて食欲ばそそっずねぇ」
青菜はそんな言葉を気にせず、尾っぽの影を塀へ長々と伸ばしている。

The11月。
十一月でないと絶対に見られない光景。
どうして11月は何気ない光景を、こうも美しく仕上げてしまうのだろう。

「見でみろ、太陽さ透けてしまった通行人の真っ赤な耳」
「んねず。地蔵町三区町内会の文字だず」
「ほれ、ほごの若いの。地蔵町てどごだが分がっか?」
こんな町名を見つけると嬉しくて飛び上がってしまうべな。

「その隙間から出っべて必死なのが?」
軍手は体を捻りもがいているが、それよりなしてほだんどごさ嵌てしまたのっだが。

山形市専用の「もやせるごみ袋」をみて思った。
毎年毎年葉は落ちる。
そして毎年毎年その葉はゴミとして捨てられる。
このままでは町中が沈下してしまわねんだべが?

七日町の深奥を凝縮して具現化しているのがこの街並み。
この何気ない光景に趣を感じるのは最早としょった私だけなのか。

山大からのだらだら坂に鍵盤のように影が並んでいる。
こごも東原町だげんと、私の立っている位置は七日町だがら。

自転車は競って干し柿へ首を伸ばしている。
干し柿は届くわけあるまいとのんびり日向ぼっこを決め込む。
この光景はパン食い競争と同じ構図だべな。

「あがべー」
「あっかんべー」
「ほっだい長ぐベロ出してぇ」
布団は太陽が恋しくてしょうがないのよ。

「エアコンさも髭生えっだどりゃあ」
壁にたづぐ者たちは、長年の間に髭が生えると知っておくべし。

いつも六つ子が行儀よく並んでいる。
「しょんべなのすんなよ、下流が水の町屋で行きつく先は霞城公園なんだがら」

小路の隙間からわずかに漏れる光りに紅葉たちは大はしゃぎ。

「あだいガバッと口ば開くなてたまげだぁ」
「何ば食うつもりなんだべね?」
「おらだばはんまぐないがら食わねでけろねぇ」
軽ワンボックスのリアドア開閉を見るだけで饒舌になる紅葉たち。

「なにすんな、かにすんなて書いであっげんとも結局構ってもらうだいのよぅ」
錆の進んだ看板は小言をいうことで自分を元気づけ、そして周りと繋がりたい。

「オーマイガー!」
欧米ミステリー文学好きな私は思わず叫んでしまった。(ちょっとつかしてみました)
舞い降りた紅葉の葉っぱは塀までもうっすらと赤く染めている。

御殿堰の流れている七日町には、
季節限定の堰が輝きながら滔々と流れていた。
インバウンドで人が押し寄せると困るので、この場所は絶対に誰にも教えない。
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