[山形市]諏訪神社例大祭 祭りの威勢と街角の静謐と(2025令和7年9月27日撮影)

街はあの猛暑を潜り抜けたものの、未だに夏の名残が漂っている。
そんな駅前通りのなかで、杜の都仙台に引けを取らない緑の濃さが自慢の諏訪神社前。

二人の協議は難航しているようだ。
「どんどん焼き?チョコバナナ?」
そんな二人を待つ影は、欠伸をしそうに伸びている。

露店と向かい合って並んで食べる。
これが若者たちの今流の食べ方なのか?

棒立ちの群れの上を手が行き来する。
チョコを塗られ派手な色に飾られたバナナたちは、自分の順番を見上げながら待つ。

最高の日和になった今日。
手水鉢(ちょうずばち)の水面も真っ青な空を映しこの日を祝っている。

今日ばかりは日陰の花となってしまった彼岸花。
参道に並んだ紅白の提灯にツンツンとちょっかいを出している。

トンボは考える。
このお太鼓橋のある池へ落ちてしまった諏訪町の子供たちは、
いったい何人いることだろう。
昭和から数えれば数十人では済まないのではないか?
私の友人も確実に落ちていると問わず語りに言っていた。

魚たちが水面で口をパクパクさせるときだけ、
波紋ができて提灯が軟体動物の様に揺れ動く。

新調して前よりずーっと立派になったお神輿の、今回はお披露目でもあるらしい。
ぶら下がった鈴もまだ世間に慣れていないのか、ややはにかみつつも境内をぐるりと映している。

天狗の鼻も立派だが、その蓄えられた髭もまた立派。
光の加減でモサモサ生えた毛の一本一本が立体的に見えてくる。

「ほれ、おまえだいくぞ!」といったかは分からない。
でも同じような鬨の声を上げつつ腰に力をため、
その帯をぎゅっと押さえつける手に力が籠った瞬間が訪れたのは間違いない。

この神社を立ち、町内を巡って帰ってくるまで約四時間!?
まずは駅前通りを南高方面へ東進し、そして山大方面へ北進、五小へ西進。
そこまで書いただけで疲れてしまった。
神輿担ぎのタフさはには呆れるばかり。

神輿が渡御に出発し、
狛犬に括りつけられたモンテディオのフラッグが青空にはためく。
さすがモンテディオが毎年祈願する神社だなと感嘆する。

「駅前の大通りば通行止めできる力が神社にはあんのっだず」
「んだず、いわば山形の幹線ば停めるんだがらね」
いかに大通りを停められるかが神社の力量だとは思わないが、
でも知らぬ者のない諏訪神社だからできることなのに違いない。

「まだ出発したばっかりでいうのもなんだげんとよ」
「なにしたぁ?」
「早くて頭が暑いはぁ」
今日の日差しは一直線に担ぎ手たちへ襲い掛かっている。

「煩悩の塊がカメラ担いでいるみだいな人、なんたっす?」
「は?俺のごど?」
「一発ガブリッてどうだべ。煩悩ば嚙み砕いでけっから」
というストーリーだと皆はいうべな。
「おがぐらは俺みだいな煩悩まみれには近づがねんだぁ」

真新しいとぐろ巻く竜をてっぺんに乗せ、
神輿は奥羽の山並みを向かい合う。

最初の信号機を渡り、神輿はローソン前をまだ東進するつもりだ。
「どうれこの辺りで、賑やかさから離っで晩夏の静けさば見つけに行ぐがな」

神輿巡行の残響が耳に残る中、
昭和が至る所に残る諏訪町・小姓町へ誘われるように入り込んでいった。
ムクゲは郵便ポストに倣い西側を見て大人しく並んでいる。
こういった街の何気なさに俺は触れてみたいんだ。
ごめんな神輿巡行の皆さんたち。

「おもしゃいべぇ?」
「何が?」
「んだて柱が赤くて紅葉が青いんだじぇ」
まだまだ柱の色に紅葉が同化するには早すぎる。

「なんだが大正時代の人々の集合写真みだいだずね」
「あの頃、人々はどういう思いで写真機の前さ並んだんだべ」
遠いセピア色を思いつつ、目の前に集まって並ぶ自販機や草花たちに目を移す。

うわーっと一面に咲くコスモスもいいけれど、
こんな風にはぐれてしまった一輪を愛おしむのもいい。
「木っぱずどが錆びだパイプの中で咲く姿なの切なさまで感じさせんもなぁ」

「町内会で決まったんだが?」
「柿の木さ洗濯物ば干しましょうてよぅ」
「ほだな回覧板回ってこねじぇえ」
「ま、いっだな。そここごでいろんな干し方があっていいど思うのよねぇ」

「太陽さ命ば捧げるつもりが?」
「焼き付いてしまうどれはぁ」
あちこちに舞うトンボは秋の使者。
心配で声をかけるが、透き通る羽根すら微動だにしない。

「これをこの光景を昭和の王道と認定したい」
山形市は山形五堰を再現し街並みに彩を添えようと躍起になっている。
それはそれでいいけれど、昭和の街並みにも注目してほしい。

「こっだい心が癒さっで、気分がよくなる通りなて、山形市内でもほっだいないじぇ」
「メインストリートから外れでしまたがら運よく残てるてもいえっべげんと、
ほだなどうでもいいのよ。とにかくすんばらすいんだがら」
「景観賞どがなんとがて観光客向けみだいなのは世の中さあっげんと、
ほいなどは一線ば画す、ほんてん人々が暮らし、
人々の営みが見える生きた街並みといえばここで決まりだべ」

蔓が秋を感じ始めて虚空を彷徨う。
通りを歩く人は用事があって、ほだなさいちいち構っていられない。
それが日常。それが昭和から連綿と続くのがこの通り。

あんまり日差しが眩しいものだから、小さな祠へ入り込んでみた。
目が慣れるまでは赤い屋根しか見えなかったが、
しばらくすると地面には黄色い銀杏の葉が敷き詰められ、
青々とした木々が我先にと空間の奪い合いを演じている。
もちろん無言で。

「まぶしぐないが?」
「まぶしくて体の黒い部分が壁さ逃げでいったはぁ」
言葉遊びの上手な彼岸花に会えてよかった。
車も通れない裏通りなのに、パッと咲いてくれる潔さ。

彼岸花に別れを告げ、ちょっと気になって振り向いてみる。
そうだったのか。あの部分に陽が指すのは一日のうちほんの数十分がいいところ。
家並の隙間から漏れる光りを求めて咲いていたんだ。
「まぶしぐないが?」なんて聞くのは間違っていた。
彼岸花にとっては自分の輝けるほんのわずかな時間だったのだから。
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