[山形市]門伝・新屋敷 母の帰りたかった村(2024令和6年12月30日撮影)
これらの写真を先日旅立った母へ捧げます。

山形市からとんがり山の富神山を目指して行けば、その麓に広がる村が門伝。
村の入り口では二つの自販機が冬の日差しを受けながらのんびりと今年あった出来事を話している。

「山形まで貼って行ってきた」
「這って行ってきた?」
「這って行ぐい訳ないべず。腰さ湿布貼ってったのよぅ」
駐禁と防火水そうの看板は、おばちゃんを見ながら勝手な創作会話を楽しんでいる。

枇杷の花は冬に咲くそうだ。
「白い小さな花びらが人知れず咲ぐんだど。楽しみだねえ」

畑には雪がうっすらと積もり、
雪から顔を出した葉っぱは三枚の団扇で暑い暑いと、
武士は食わねど高楊枝みたいな我慢。

「もっと近づかねどわがんねっだなぁ」
「んだんだ。おらだ喉乾いだんだがら」
柄杓は蛇口の影へもっと伸びろと無理強いをする。

潮時を悟った柿の実は、最後の姿を誰にも見られたくない。
早く自分の姿を雪が隠して欲しいと願って横たわる。

門伝からならどこからでも富神山が見える。
「おっと、富神山ばぼーっと眺めっだら、ひころぶっきゃあ」
凍った日陰の径では山を見上げず足元を見ろ。

富神山は間近に見え、振り返れば雁戸山は山形盆地を挟んで遠方に見える。
天気が良ければ真っ白い鋸の歯のようだ。

「電柱があんのはしょうがないっだなねぇ」
もっこりと盛り上がった真っ白い奥羽山脈が山形の市街へ押し寄せる。
それに抵抗してビル群がツンツンと突いているような光景だ。

「まんず五月の節句までは脚光ば浴びねべなぁ」
枯れた柏の葉っぱが、村を茶色に染め上げる。

山形から門伝を通り、白鷹方面へ向かう道を振り返る。
道の向こうには霞城セントラルが、空いた空間へスポッと一つのピースがはまるように見えている。

「編んでもらたのがぁ?いいの着ったんねがい」
蛇口は頬をうっすらと染め、その素肌で冬の光をそっと反射した。

波板の隙間に張った蔦が無言で枯れかけた草とお互いの境遇を語り合っている。

この道が門伝から白鷹へ向かうメインストリートだった。
「七つ松行きのバスもこの狭い道をエッチラオッチラと登って行ぐんだべなぁ」
「今は一日に何本走てっかしゃねげんと」

無残なのか、時代が創り上げた芸術なのか?
昭和の栄華を知らしめるべく、空へ向かって彷徨しているようだ。

ここが門伝四辻。
門伝の中心地であり、西山形地区の中心でもあった。
なにせ昔は映画館まであったんだから。

「なんてこったぁ、肩凝ったぁ」
「肩凝ったどごろの状態んねば。ぐんにゃり曲がったじゃあ」
看板は十字路へ突き出すように何十年もいたもんだがら、
誰かが触ったり、車が擦っていったりしたのだろう。
何があっても肩が凝ったくらいにしか感じない。

「ほだい皆でじっと見つめでくんなず。恥ずかしいべな」
「んだて他に動くものがないし、後ろば向いでもシャッターだし」

「なんぼがな入れっど出でくるんだ?」
「ほっだなごどゆたて、ガチャガチャがガダガダだもはぁ」
寒風しか通らない通りをじっと見つめるガチャガチャ。

門伝四辻で一番新しいのは、山交のバス停だった。

普通にキーボードで入力しても自転車としか出ない。
「見でみろず、自轉車だじぇ」

「こごがぁ、なえだて賑やかだごどぉ」
「山形でも何本かの指さ入る中華そばの旨さだてゆうもね」

自転車さ乗ったら須川までは一回もペダルを漕ぐ必要がない。
そんな坂道の街道が続く門伝の村。

県展に出品しても入選しそうな芸術性を感じないか?
「俺の目が老化してきたんだべがなぁ」
「この塀は絶対ただのコンクリから芸術さ昇華してるず」
罅(ひび)の入り具合、コンクリの剥がれ具合、ペンキの微妙な塗られ方。
やっぱり芸術とはただの物体と紙一重。
つまり見る人の感じ方ひとつ。

「おらぁ窓ふきんねがらね」
「窓枠さおっかがてなにゆてんの」
「雪かきてゆだいんだごんたら、ちゃんと雪ばどげでけろてゆうの」
きつい口調で責めたら雪かきはへそを曲げて寝たふりを決め込んだ。

シャッターの暴走。
人間から上げ下げばっかりされていたから、
遂に左右にズレて反抗をし始めたに違いない。

窓枠は昭和っぽいが、ステッカーは平成っぽい。
やがて窓枠は令和になり、ステッカーはまたその次の世代へ変わるのかもしれない。

「だいぶ曲がったなぁ。とにかく安静にして」
「先生、安静にしてるんだげんと・・・」
梯子は横になるのが安静ではなく、縦に立っているのが安静なのかもしれない。

屈曲した腕は覆った錆を隠そうともしない。
電球を守るためなら錆付いた腕などどうでもいいという自己犠牲の気持が滲んでみえた。

少しあまけだ手のひら大の雪だるま親子。
「コラー!水掛げんなぁ。おらいの子供さなにするんだぁ。具合悪ぐなて倒っでしまたどれぇ」
蛇口に向かって、母親は必死に叫ぶ。

私がしばらく撮影を休んでいたのも、今回久しぶりに門伝に撮影に訪れたのも必然。
母は先日旅立っていった。
富神山を愛してやまなかった。
門伝が好きで好きでたまらなかった。
できれば二人並んで富神山の麓を散歩したかった。
富神山は雪の衣をまとい、ただ柿の実の背景になっている。
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