[山形市]豊烈神社例大祭 山形市で今年最後を飾る例大祭(2024令和6年10月7日撮影)

ザクロがぷっくり膨れるころに、暑さは過ぎ去り大気は落ち着きを取り戻す。

久々の光りに、朝顔は花びらをかざして空を見上げる。

縦横ラインで満杯の、シャッターの横ラインと、紅白幕の縦ライン。
その堅苦しさを和らげるまあるい提灯。

「なえだて満杯だどりゃあ。来んの遅いっけべが?」
「山形市で今年最後のお祭りだがらて、この祭りだげは楽しまねど後悔すんまなぁ」

「よっくど見だら、子供だの徒打毬だどれ」
「んだら大人の本番はいまからだべした」
「子供だは前座が」
「ほだな言い方したら子供ださ可哀そうだべぇ」

「んだら勝ったほうは勝鬨上げろぅ」
はにかんでいるのか、太陽が眩しいのか、観客の視線が眩しいのか、
子供たちははにかんだ様子で鬨の声を上げている。

「おらだも遠っがくからわざわざ来たんだがらよ、楽しんで行げよぅ、ヒヒン」
馬はニヤッと笑って観客の心に入り込む。

長いまつげの奥の瞳は地面をジーっと見つめている。
本番に備えて緊張しているのか。
またトラックに乗せられて長距離を帰るのが嫌なのか。

「ラケットだがなんだがしゃねげんと、待っている間はコップやペットボトルだど同じ扱いなんだずね」
「んねっだべ。滅多に一緒にいっどぎないがら交流しったのっだず」

球ころは逃げないようにちゃんと籠に収められている。
「球ころださ逃げる気なんかさっぱりないみだいだげんとなぁ」

晴れ舞台の隅っこでは脇役たちがそれぞれ気を抜いて和んでいる。

「いざ出陣!」
そんな緊張感が境内に漲る。
「やっぱり恰好いいずねぇ」
「どごが?」
「尻尾の房の上がり具合が」

「的の方さいんのが隊長だ」
「俺は副隊長みだいなもんだな」
この日を待っていた目には親心のような優しさが宿っている。

「なしてあだい恰好いいんだず」
「なにが心さキューっとくるものがあっずね」
「おだぐも日本人であり山形人ていうごどっだな」

「おう!惜しい!」
的に入っても拍手、外れても拍手。
「んだて何しても恰好いいんだもの」

太陽の光りは高く上げた扇子の影を際立たせ、
持ち手の指を生き生きと照らしている。

「本番中も裏方は大変なのよ」
表で打毬が繰り広げられている間にも、
次の子供神輿の準備はダガダガ進む。

「子供だが楽しみにしてっからよ。大人がちゃんとフォローしてけらんなねのっだな」
本殿と社務所を結ぶアーチ状の渡り廊下の下には親心が満ちている。

「足袋履くど気が引き締まんのよね」
「それにしてもこの爪ば嵌めんのが大変よぅ」
キラッと光る爪が遂にシャキッとはめられた。

「この間まではあだい暑いっけのに、なんだかんだゆたて10月だもはぁ」
「んだっだ。大気の色が秋色だどれはぁ」
「空気も完全に秋さ入れ替わったみだいだしねぇ」
境内のみんなもそう思っているに違いない。

ピンクの花に青空はよく似合う。
それを真上から見下ろしている紅葉はまだまだ青い。

「大人の人たち何か揉めでんだが?」
「しゃねげんと構わねほうがいいば」
「子供が口出しする場面んねも」
法被の女の子達は、早く大通りに出たいと焦れている。

「神輿ば引ぐ前に、こいにして拝礼と拍手さんなねんだがらな」
子供達は恥ずかし気に、大人は堂々とパチパチ手を鳴らす。

「ほだい急ぐなず。車から引がれっべな」
「オラだは神輿ば引くほうなんだがらな」
子供たちのはやる気持ちをなだめるのも大人の役目。

そして市内に繰り出した神輿たち。
たちと複数形でいうのは、なんと四つもチームがあるから。

「どのお面がいいのや?」
大人の声に子供は迷う。
そして抱っこされた足がプルプル揺れる。

「派手派手だずねぇ」
「んだて今日はお祭りだがら」
「キングギドラみだいだどら」
「頭三つもないし」
「口から吐くのは水だげだし」

子供たちがぎっつぐ握るであろう紅白のロープは一旦地面で待機。
ロープの先っちょがガムテープで抑えられているのを目にとめ、
思わず頬が緩んでしまう。

「未来さ打毬ば繋いでいぐためにも、ちぇっと馬さ子供だば乗せらんなねっだな」
その姿へ親たちはここぞとばかりにスマホを向ける。

毛並みのいい馬を見た後に、
主催者のおじさんたちは自分の毛並みが随分薄くなったことに改めて気づくだろう。
そしておじさんたちを背後から撮っている私もそれに準じている。

皺がなく、もっと艶々とした指のころから打毬は見ている。
そしてもっと皺皺になるまで打毬は見続ける。

昔から打毬の見方には連綿と続く伝統がある。
いままさに幕の張られた塀にずらっと並んだ指たち。
「こいにして塀さたづいで見んのがこの辺の習わしよぅ」

「下さ脚立あっから、ほごさ足伸ばして」
「ほだごどゆたて袴が引っかがてるんだも」
馬に乗るのも一苦労だったが、馬から降りるのも一苦労。

打毬は天気にも恵まれ盛大のうちに終了。
紅白幕は外される前に、最後の仕事として後片付の人々のシルエットを描いている。
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