[山形市]山形大花火大会 宮町〜昭和橋〜北門を歩く(2024令和6年8月14日撮影)

空は茜色に染まり、穏やかな表情に変わってきた。
北駅前通りには闇が少しずつ忍び込んでくる。

北駅付近から歩きながら南下して霞城公園へ近づいていこうと勇んで歩き出す。
「ありゃあ月は早くて上がったどりゃあ」
歩き始めたばかりでまだまだ足取りも口も軽い。
この後に、カメラ二台・三脚・ペットボトルの重みが口も足も重くするとも知らずに。

空をちょん切ったら、切れ目からまた雨が降ってきてしまう。
今日のところはあんまり空を刺激しないでほしい。

「そろそろ時間だど思うんだげんとなぁ」
「上がてんのはモンテのフラッグだげだどれぇ」
闇の中にオレンジ色の混じる町は、今か今かと花火を待っている。

既に日没時間は過ぎた。
空には柔らかい雲が浮かび、徐々に光りを失っていく。

あんまり花火が上がらないものだから、大通りからちょっと脇に道に逸れてみる。
やはりちょっと小路に入れば、そこには闇の混ざりあった灯りの少ない街並みが広がっていた。

遠くの山の端へ灯りが残るだけになった。
ミラーも藍色になった空を映すだけで、今日の仕事は終わったかのようだ。

「どだな集まりなんだっす?」
「おがすげな集まりよぅ」
「なんだずあんただったらぁ。ほの通りだぁ」
ゲラゲラゲラァ。
笑い声は焼き肉の匂いとともに空へ立ち上る。

「キターッ!」
遂に街並みの屋根の上に幾筋もの花火が上がり始めた。
心臓は疲れと興奮でバクバクだぁ。

昭和橋付近までようやくたどり着いた。
あの橋の上なら花火の全貌が見えるのではないかと思っていた。
蔦の絡まる家にも花火の光りが届いている。

花火を見るには位置取りと座り心地が大事。
軽トラの荷台に陣取ったとは抜群のチョイス。。
ところで座り心地尾はなんたんだべ?

山形市のど真ん中で花火ができるのは、なんといっても高いビルがないから。
「んでもこの頃はあちこちさ高層マンション建ってっからねぇ」
ということで必然的にお金を払っていい場所で見る人以外は、
城南橋や昭和橋などに集中してしまう。

「燃えっだどりゃあ!」
なんと偶然低い位置から昭和橋ば撮っていだら、
丁度観客と花火が重なって見えた。
しかも花火は暴れるような弾け方をしているではないか。
人々は目の前に迫る火を端然と涼し気に見入っている。

「これだがら山形の花火は辞めらんねず」
確かに東京の花火大会の、あの肩と肩がぶつかり合うような混雑とは無縁。
ゆったりと心行くまで、一杯引っかけながら花火を堪能できる。

花火を夢中で見ているのは人々だけではなかった。
床屋さんのポールもトリコロールカラーの体を止めて、
終わったばかりのパリ五輪とともにひと夏を名残惜しむ様に見入っている。

少しでも花火に近づきたい。
人の本能が足を向けさせる。
そしていつの間にか霞城の杜の見える裏道へ入り込んでいた。

霞城公園の北門はすぐそこだというのに入れないと係員に止められる。
立入禁止内に住んでいるであろうおばさんは、
花火を独り占めで堪能しているようだ。

疲れてふと足元を見ると、水路までもが発色している。
水面さえあれば光りはどこへでも入り込んでいく。

「映画館の座席指定か?」
そんなことを思わせるように、整然と椅子が並べられ、
座る位置も指定席のように決まっている?

ようやく北門付近にたどり着いた時には足が棒になっていた。
その棒のような足で杖のような三脚にもたれかかり、
とりあえずは何も考えず(構図を考えるのも疲れていた)普通に撮ってみる。

なにか撮影に一味を加えなければと思っていたら、
堀の水面にも花火が映ってくれた。
これは儲けものだと思わずニヤリ。

「枝葉が伸びる花火が。珍しいずねぇ」
堀の水面はわずかにさざ波が立っているものだから、
その枝葉もスッと伸びずにくねくねと伸びていく。

繊細な色合いの花火が空へ針を突き刺すように放物線を描いている。
そして堀の中ではそれらが交じり合い縫い合わされ、荒めの絨毯が敷き詰められたようになっている。

街のど真ん中でできる稀有な花火大会はフィナーレを迎え、
霞城公園に静寂が訪れる。
杜の上には月が何事もなかったように浮いている。

花火大会が終了し、漸く北門入口へ入ることができた。
まだ花火の煙が彷徨っている霞城公園の空の下、
昔からの店が今年も騒動が終わったかと呟いた。

店の漆喰は剥がれ落ち、その模様は何かの動物に見えなくもない。
元気ハツラツの看板は、これ以上ないほどに元気がそぎ落とされ元気の欠片もない。
それでも人に訴えかけようとする気力だけで柱に掛かっている。
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