[山形市]六椹八幡神社豆まき 寒気と熱気のぶつかり合い(2024令和6年2月3日撮影)

その先の光る場所へ行けば何かがある。
「何つかしてゆてるんだ。ただの豆まきだべな」

「早ぐあべはぁ。始まっじゃあ」
ブランコから降り、夕闇の迫る境内を親子が光る方向へ歩み始めた。

あのトラックは子供たちを興奮させる玉手箱。
車体の銀色に輝く側面がグォーンと開いた時の子供達の顔が目に浮かぶ。

「誰もらていぐんだがしゃねげんとよ」
「早ぐもらてってもらわねど寒くて分がらね」
トラック(ステージ)の前には豪華景品が寒空を見つめながら豆まきを待っている。

「なして太鼓なのあるんだ?」
「前回はないっけずね」
「景気つけるために太鼓叩ぐのがい?」
「黒豆ば取って巻ぐつもりんねがよ」
太鼓の周りを取り巻くボッチを見てつまらないことをいう。

テロテロの表面には冬空と欅の木の枝が映りこむ。
ついでにどこかの親爺がカメラを構えて映りこむ。

「人来っべが」
「一万人ぐらい集まるんねが」
「ほっだいぃ」
「ほれぐらい来んべぇ」
寒い中、会話だけが熱気を帯びる。

豆まき前の祈祷が長々と続けられている。
でもそれを見てほしいわけじゃない。
並んだ靴たちを見てほしい。
例年と何かが違う。
そうです。ブーツや長靴より短靴が多いんです。
つまり今年は雪が無いってことなんですねぇ。

解けた紐はあぱーっとして主を待つ。
靴の中から主のぬくもりが消え去る頃には祈祷も終わるのだろうか。

社殿の屋根から落ちた雪はほんとに少数派。
境内にはここ以外に雪は見当たらず、
嬉しいことに地面はぬかるんでもいず乾いている。

豆まきの開始が近づき、人々も方々から集まってきた。
ご神木の木の枝は寒気の青い空に網を張っているようだ。

祈祷を終えた人々を待つお札は、
力強く、そして真摯に書かれた六椹の文字が誇らしい。

ぞろぞろと祈祷を終えた人々が社殿から出てきてはお神酒をいただく。
係の人は待っている間に寒すぎて全部飲んでしまたはぁ、なていうことがなくて良かった。
「ほだな罰当たりなごど誰がするていうんだ!この罰当たり!」
自分で自分を罰当たりという罰当たりなカメラマン。

トラックの荷台が厳かに開いた。
人々は神々しい気分になり、不動のままステージを見守っている。

豆をまく前に景気づけというか、初めてできた太鼓叩き隊のお披露目だ。
子供たちは緊張と寒さで身震い(武者震いともいう)が止まらない。

この六椹八幡神社の太鼓隊は最初三人から始まり、
今では十六人の仲間がいるという。
六椹八幡宮の未来は益々堅固なものとなり隆盛を極めると断言できる出来事だ。

「恰好しぇえんねがぃ」
逆光の中に浮かび上がる晴れ姿は、欅の枝すらもぶら下がってきて眺めている。

濃紺になった空へ向けてバチが力強く伸びる。
子供たちは堂々と誇らしげに太鼓をたたく。
太鼓の響きは寒気にヒビを入らせる。

「そろそろ始まんのんねがい」
「おらだ今から空ば飛ぶんだじぇ。気持ちは固まったが?」
「寒くて体が固まった」
豆たちは飛ぶ準備で精神統一中。

一気に歓声が上がる。
その歓声の上へ豆が飛ぶ。

老若男女みな袋をかざし、ステージを見て必死に手を伸ばす。
もちろん寒いことなど忘れている。

「くださーい!くださーい!」
「こっちにもくださーい!」
大きな声があちこちから響く。
なんと驚くことに「けろー!」と山形弁で叫ぶものなど一人もいない。

鬼は進行もアナウンスもするんだ。
落とし物の案内から迷子の放送までする鬼は本当に鬼なのか?
時代は変わった。

六椹八幡宮の豆まきは三部まである。
第一部は誰もかれも参加できる豆まき。
第二部は子供だけが参加できる豆まき。
第三部は高齢者ほど一番前に陣取れる豆まき。
誰にでも満遍なく豆が行き届くようにと配慮された豆まきなんだ。
ただ神主さんはその観客入れ替えの間に指がこごまて、
豆を抱きしめながら手をこすり合わせて待つしかない。

「泣ぐ子はいねが〜!」
「それはなまはげだべ」
「おらぁごしゃいでけっからこっちゃこい〜!」
子供たちはただ笑って豆をぶつけ喜んでいる。

「んだら今年も元気でな〜」
鬼たちはさんざん子供たちに豆をぶつけられ、
その子供たちへ感謝しながらサラバといい退散する。

「どれもっとよっくど見てみろぅ。当たり入ていねがよ」
集めた豆を地面へ広げ、何度も当たりがないか目を皿にして豆を見る。

なんと二等賞をゲットした方に直撃インタビュー。
二等なのに雪若丸10キロだど。
一等賞なの20キロだがらね。
六椹八幡宮はほんてん太っ腹。
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