[山形市]六日町・熊野神社 遅れて行った初詣(2024令和6年1月5日撮影)

冷酷な雲が冷気とともに文翔館周りを薄暗くする。

枝は黒々と冷気の中へ挑戦するように伸び、
街灯は冷え冷えとした空気に同化してしまっている。

文翔館の敷地内は禁煙だげんとも、
けっしてベンチに座ってのおしゃべりは禁じない。

文翔館の北西側から振り向くと、
凍てつく空に十字架が力強く突き刺さっている。

「こごが新築西通りなんだがらね。北進一方通行んねがらねぇ」
新築西通りは長年の一方通行から解き放たれて以来、
明るさを取り戻したような気がする。

「風強くてよぅ。隅っこさこごまてらんなねんだぁ」
幟は壁におかがりながら、身を縮めて通りの様子を伺っている。

「くっ、苦しいぃ!」
「なして正月早々から首絞めらんねんだず」
「風強いがら、おらだが錘になて物ば支えでらんなねんだどう」
本来の仕事は飲み物入れだという自負がありつつ、
他にも役に立つことへの嬉しさも微かに芽生える。

歩いてみても気づかないけれど、写真で見れば一目瞭然。
やっぱり山形は扇状地に出来た街なんだずねえ。
「街全体が傾いでんもの」
「その表現はちょっと・・・」
「いや、街全体が西に向かって下り坂になてんもの」

六日町は車の通れない小路天国。
だからこそ、八つ手と街灯のひそひそ話もできるというもの。

とにかく車の通れない六日町の小路。
こんな小路がいったい何百メートルあるだろうか?
すぐ文翔館の裏手で街の中心部というのに車の音も入り込んでこない。

街の雑音が入り込んでこない六日町には昭和がデンと居座っている。
「木枠の窓から覗いているのはブラウン管テレビの箱だどれ」

「退屈しったのが?寒いのが?」
「プロパンガスさ近づいだて、ガスそのものは暖かくないがらね」

街の空洞化がよくわかる。
空地になっているのはもちろん、空き家もかなり目立つ。
「なんだて街の真ん中なんだげんとなぁ」
街に穴が空き、心にもぽっかり穴が開く。

誰も住んでいなくても、空の雲はちゃんとガラスに反射して泳いでいる。

雪のない空地は雑草の天下だ。
暖色系になり絡まった蔓や草たちが、からからに乾いた体をギクシャクとなびかせている。

小路の入り口に小さくひっそりと五円玉がぶら下がる。
風に吹かれてお互いにぶつかってもチンとも言わない。
きっと寒さが五円玉を寡黙にしてるんだべな。

こいなびじゃかがあっど、いっそ雪が降ったほうがいいかもと思う。
「んでもよっくど見でみろ。落ち葉だが光りに勢いづいだみだいしてキラキラしったじぇえ」

雪が降らないからこそ見える紅白幕がある。
落ち葉たちは紅白幕が水面にまで来てくれたことを歓迎しないはずもない。

誰も来ない遅れた初詣。
提灯たちは風に吹かれてただ小刻みに揺れるだけ。
「ぷかぷか浮かぶ提灯はそろそろノルマも終わりだびゃあと安堵しているのかもすんねな」

「お、この御籤を引いた人には明るい兆しが見えます」
「あ、んだげんとも間もなく黒い雲に覆われそうです」
人生も天気みだいだとはよく言ったものだ。

「おれ、ちぇっと遠慮したほうがいいのんねがず」
落雪注意は雪もないし遠慮気味。
「ほだごどやねでいでけらっしゃい。寂しいがら」
初詣は落雪へ一緒にいでけろと体をはためかせてシナを作る。

屋根模様と紅白模様を美しい並びだと身を乗り出してみる欅の木。

境内の地面をふわーっと掃き掃除する傾いた日差し。
「今年はほんてん、雪で地面が隠れる日が来るんだべが?」
「来ねがったら来ねで、春の田植えが心配だもなぁ」

噴水は日差しを浴びて、ただの白より真っ白い。
新年を迎えた二人は清々しい。
鯉は何を考えているのか皆目見当もつかない。
そんな光景が交じり合う穏やかな熊野神社。

「食ぇ」
ぱっと開いた掌から池に餌がまき散らされる。
カルビーのりしおだどれ。
俺も食だいなぁという気持ちが湧きあがり、それを押し込めながらシャッターを切る。

狛犬は熊野神社と道路を挟んで向かい側にいる。
「この辺の狛犬は自由に放し飼いなんだべなぁ」

交差した日の丸で着飾る熊野神社を、
メーターは体をギクシャクしながら見入っている。
「俺もあいに飾てもらうだいなぁ」
「お前は錆びたチェーンでぐるぐる巻きに飾ってだどれ」

「腰が提灯くらい丸いどりゃあ」
「男は背中で語るていうげんと、おんなだて背中でなんぼでも語んのっだな」
その丸みには何十年もの生活が丸まって詰まっている。

「落ち葉なの集めで何するんだっす?」
「畑さよぅ」
ぱっと差した日差しを背中に受けながら、
春になったら畑へ出かけるのを楽しみにしているおばあちゃん。
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