◆[上山市]沢丁・松山・石崎・二日町 坂道への憧憬(2023令和5年5月20日撮影)

「ようこそ上山へ〜」
ヒラヒラカチャカチャと曇り空へ乾いた音を拡げている。

大型店が郊外へ次々と出来る中、
街中はゴーストタウンみたいになっているのかと思ったら、
意外にも笑顔で人々がそぞろ歩ている。

「山形市内では見らんねじゃあ」
「誰も立小便なの見っだぐないっだず」
「んねぐよ、立小便の看板自体が無いはぁてゆったの」
「上山は温泉町だがら、酔っ払いが放水してしまうんだべなぁ」

山形市の街並みと何かが違う。
何が違うと問われても困ってしまうが、
道のくねり具合、昭和っぽい意匠、あちこちに杜が見える。
なんといっても歩いていて心地いいい。

「なえだて偉そうにどっしり構えているんねがい」
「ほだなごどないの。両脇ば石ころで押さえでもらわんなねほどか弱いんだがら」
ビニールシートはふんぞり返るような格好で、実はびくついていた。

「お祭りだが?」
「んだて紅白幕もないじぇ」
「なんだがしゃねげんと平和そうだずねぇ」
煤けた壁面が見下ろす中、人々が穏やかな空気に浸っている。

「こごがぁ、中條饅頭屋さんは」
「山形ではしゃね人いねべなぁ」
「あずきソフトなてあるんだどれ」
「はえずぁしゃねっけ」
ちょっと店構えを眺めている間にも、客の訪れるのが途切れない。

栗川稲荷神社は丘の上にある。
稲荷神社だけに、登り口に赤い鳥居が何本か立っていた。
赤い鳥居がそのまま本殿までずーっと続くのかと思ったら、
参道の両側で迎えてくれたのはデージーの花々だった。

「たばこはあのみ?」
「あ」でも「お」でもない字に面くらい、
しかも文面の内容も理解できない。
誰かこの文章を完成させてほしい。

坂道を抜け社殿へ着こうとする最後の一段。
その一段に掌をパタッと伏せて、力尽きたか八つ手の葉っぱ。

「紅白幕なの張ってあるし、中で宴会でも開いっだんだが?」
それにしても辺りは深閑として物音ひとつしない。
テーブルはバリケードのように立ちはだかって中を見せまいとし、
一輪車は他人事と退屈そうだ。

緑のトタン板に覆いかぶさった灰色のトタン板。
おそらく樹幹から舞い落ちてくる杉の花粉から守ってあげようとしているのかも知れない。

「お黙り、んねくてオダマキなんだずねぇ」
つまらないことをいう言葉を突っつくようにツンツン伸びて花開く。

「おまえも干さっでだのがぁ」
黄色いプラケースは仲間がいることに嬉しさを感じながら呼びかける。
「おらぁ喉カラカラだはぁ」
シューズは息をゼイゼイさせる犬のようにベロを長〜く出している。

見たこともないような草花が簾の元で、側溝に沿って並んでいる。
側溝の蓋には絶対はみ出さない律義さが気持ちいい。
「んだてよぅ、品のないスーパーどが食堂なんか、
あだりまえみだいして看板どが品物ば道路さはみ出させでっからねぇ」

「金庫が目の前さあっから見守らんなねど思ってよぅ」
アヤメたちはジーっと横たわったグレーの箱へ視線を送っている。
「はえずぁ冷蔵庫だんねがよ?」
冷蔵庫と知り、アヤメたちはなしてこだんどごさと不思議そうに首をかしげる。

上山は坂道の街。
至る所に坂道がうねうねと続き、坂道愛好家の末席にいる私としては嬉しさを隠せない。
テレビのコマーシャルを見るがいい。
出演者が坂道で何かを演じ、その向こうには街並みが眼下に広がる。
または、霞んだ水平線が遠目に見えるなどなど、坂道は平坦な道より人間を引き付ける魅力があるのだ。
それにしてもひん曲がったポールの痛々しいことこの上ないなぁ。

中学生らしき子が坂道に入り込んできた。
果たしてそのままペダルをこぎ続けることが出来るのか。

ああ、やっぱり無理だった。
結構な勾配があっからねえ。
冬なの大変だべなあと考えながらボーッと立っていたら、
「こんにちは」と声をかけられ、ふと我に返り「こんにちは」と挨拶を返す。
不審者然とした自分に声を掛けられ、気持ちも体も軽くなるようだった。

「帽子も袋もみな吊さっでだじゃあ」
テッセンたちは、なえだべなあという顔で吊るされ族を視線の端へ入れている。

急階段の奥には暗がりがわだかまり、その奥は判然としない。
小さな電球は逃れるように陽のもとへ伸びて一息ついた。

先ほどの栗川稲荷も丘の上にあった。
ここ石崎神社も丘の上にある。
上山駅を見下ろす絶好の光景を眺めながら思う。
やっぱり丘があり坂道のある街はいいなぁ。
山形市には愛着はあっても坂道はないのっだなねぇ。

八幡神社の杜が奥に見える。
足元ではテッセンが早く見てくれと、大胆な姿で気を引いている。

空に浮かぶ昭和。
この小径にこの看板。
上山は「昭和と坂道が染みる街」としてもっとアピールして欲しい。

荒町川の鉄柵に寄り添ってオダマキが空をこちょばしながら席巻する。

草花を撮る間にもコーン、カラーンと浴場特有の間延びした響きが漂ってくる。
まさにすぐ脇の壁は荒町川沿いの二日町共同浴場の建物だ。
壁には「あいさつ浴場」とある。
その謂れは分からないけれど挨拶という言葉に悪い意味のあろうはずもない。

二日町浴場を過ぎれば、そこはシロツメクサが迎えてくれる八幡神社。

「どうれひとっ風呂浴びに行がんなねべ」
そのあと一杯引っかけることを心に足取りも軽い。

「お湯さ入んのもいいずねぇ」
浴場へ足を運ぶ人を見送りながら、
アヤメは陽光を全身に浴び心地よさげに弛緩する。
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