◆[山形市]霞城公園・城西町 季節のはざまに雨が降る(2022令和4年8月27日撮影)

霞城公園へ北門から入るとすぐに、様々な歓迎を受ける。
「なんだが昔の観光地の客引きみだいだなぁ」
「もっと統一感のある看板だど格式ある公園に感じるんだべずね」

霞城公園へ車を停めて街へ歩いていくのに傘を持つべきか悩んだ。
ムクゲの花びらを見て、傘を持ってきて良かったと安堵する。

「なに釣れんのや〜?」
「鯉が釣れるぅ」
「ブラックバスんねのが?」
「この頃はあんまりいねぐなたぁ」
子供たちは猫と共に水面を見つめている。

「この先はお堀につき、車で進むと沈没します」
看板は眉間に皴を寄せながら警告している。

近くから見ていては分からないものも、
遠くから見れば分かるものもある。
「北門のケヤキ?てあだいでっかいっけのがぁ!」

霞城公園の北辺を堀沿いに西進し、
ちょっとしたクランクを通る。
その場所には道標のようなものが建ち、旧香澄町とある。
「しゃねっけぇ。んだら駅前の香澄町はなんなんだ?」
戸惑いながら考える脇のフェンスに朝顔が咲く。

ねじり具合は時計回りか?
いや反対側から見れば反時計回りか?
どこからみても時計回りの流麗な形状だった。

「店なんだべずね、看板もないし。買ってもいいんだべが?」
興味をそそられつつ、カメラや傘の荷物の重さを思い出し諦める。

「壁一面ば朝顔で覆うべという一大計画なんだべずね」
壁を覆いつくす網紐をみて主の賛同するけど、結果が気にかかる。

春が訪れ花びらが開くと、みんなから愛でられるハナミズキ。
秋の姿には視線を向ける人もいないようだ。

城西町は霞城公園に隣接している。
通りを見通せば、サルスベリの赤い花の奥に巨木の杜が見える。

ヒルザキツキミソウごめんな。
可憐で水滴をまとった姿は儚げに見える。
でも、雌しべの四つに割れたぬめぬめのベロがエイリアンを想起させる。

「頭ば揉みほぐすど、考えかたも柔軟になるんだべが?」
城西四丁目のバス停は、考えるともなしに考える。

各種メーターが横並びで異口同音にいう。
「前髪カットっていわっでも、おらだは前髪ないのよね〜」

真っ白い壁に綾織を紡いでいく。

失礼を承知で言わせてもらえば、
外国の方が描いたのか、子供が描いたのか?
でも言っていることは真っ当だ。

まだまだ紅葉の季節には早い。
それまでの間に、コロナが許せば様々なイベントがある。
秋のイベントを楽しみつつ赤らむのを待つしかないかと、
曇天模様の空を見上げる。

「おまえはまだ咲いっだっけのが?」
霞城公園西門へ向かう途中に、今頃になってべろべろとタチアオイが咲いている。

ムクゲや八つ手が小径へはみ出している。
この緑の多さが人の心に潤いを与える。

雨が残した鏡面を、杜の梢が覗き込む。

今にも降りそうな空模様。
霞城公園北西にある児童遊園地は薄暗く近寄りがたい。

湿気を孕んだ空気が何処へも逃げきれず、
児童遊園地へわだかまる。

滑り落ちて途中でつっかえっている病葉は、
風が吹くか雨が降るかで、生まれた地面へ還ることができる。

「街のど真ん中さ、こだいでっかい巨木があるなて信じらんね」
「みな当たり前みだいして霞城公園さ来っげんと銀杏の木どがプラタナスの木ば見でみろず」
明治神宮の杜は人が手を加えずに自然の杜にしたそうだ。
「霞城公園も人工物はすべて撤去して自然の杜にしたらなんた?」

「なして仲たがいしたの?」
二股に分かれた樹木へパイロンたちが集まって聞いている。

児童遊園地はあまりにも薄暗く、あちこちに街灯が灯っている。
その街灯の光源へレンズを向けてみた。
ああ、見なけりゃ良かった。
「みな虫食いだらけだどりゃあ」

雨に濡れるベンチには病葉が横たわる。
たまに落ちてくる滴が病葉に当たり、その身が微かに身もだえる。

「こりゃたまらねな」
バイクのおじさんは突然の驟雨にブレーキ掛けながら途方に暮れる。
黒い森には縦の白い筋が幾重にも重なり合う。

「引ぱんなずぅ」
「見捨てねでけろぅ」
「誰も離さねがら心配すんなず」
「ほんてんだがよ、嘘つがねがよ」
ポールと鍵はずぶ濡れになりながらお互いを離さない。

「こだい降っど思わねっけぇ」
「しゃますすっずねぇ」
雨は人々を慌てさせ、杜を洗う。

ずぶ濡れになって車へ駆け込む。
フロントガラスの一粒一粒が杜を写し込み、
自重に耐えきれず流れ落ちていく。
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