◆[山形市]十字屋跡・駅前・鈴蘭街 梅雨の掌へ入る前(2021令和3年6月13日撮影)

再び十字屋跡地が気になってきた。
跡地のホテルはベールを脱ぎ、山形の街へ新たな風を吹かせようとしている。

「二階ば車走ったじぇ!」
「ほだなごどある訳ないべぇ、ガラスさ映っただげだどれ」
人が平地を歩き、車は二階を走る時代が山形にもやってきたと勘違いさせるガラスの壁面。

ビルに囲まれた公園でブランコが揺れる。
街中の子供たちは、田植えの済んだ広々と広がる盆地の光景を知らない。

「おんちゃんおっかない顔しった」
「顔だげだぁ、本当はおっかなぐないがら」
プランターの花へ向ける顔を、優し気にしようとしても無理だと分かり、悲し気な表情になるバイク。

駅前空き地の進入禁止ポールの上に載せられたペットボトル。
「なしてこだんどごさ置がれらんなねんだず」
体内が汗だくになって、熱中症になってしまいそうだ。
「そのうち、蓋が破裂して霞城セントラルさ吹っ飛んで行ぐぞ」

「悪れがったずぅ、勘弁してけろずぅ」
サッポロビールの看板は、何故プラケースの尻に敷かれるのか、
傘たちに突っつかれるのかの理由も知らずに謝り続ける。

「なぁに、あたしさ?」
ポストは誕生日でもないのにと、
花束?を前にして感激の吐息を欠けた上蓋から漏らしている。

暑さは人を日陰へと導く。
ふと駅へ続く通路を見ると、「駐輪禁止」は「駐輪示止」となっている。
「禁止すねがら示した位置に停めろはぁ」と、暑さのせいで心変わりしたのかも知れない。

「簾の奥ば覗いでみろぉ」
「何がおもしゃいものいだのが?」
危険物の文字が、暗闇の中に怪しく浮いている。

「洒落た立て看板だずね」
「書いてあることは、ただの注意書きだげんとな」
吸い殻入れもまあるい立て看板も、一服もせず立ち話。

「フー、フー、暑いぃ」
体内の熱を吐き出しながら、地面の熱が熱いと愚痴を言い、
ビールたちは口を丸くすぼめて上を向く。

自転車の鍵を開けるために背中を丸める少年。
その背中には太陽がここぞとばかりに日差しを向けてくる。

「しゃねこめに都会的になたんねがぁ?」
花笠ストリートの北側にある公園が、いつのまにかお洒落な都会の公園に生まれ変わっていた。
「みんな飲んだ後にこごさ寄ってゲロ吐いでんのんねべな」

「ふぅ、暑くて立ち眩みしそうだぁ」
黄色いパイプに手を添えて、おばちゃんは苦し気。
もし倒れたりしたらすぐ駆けつけようと緊張しながらカメラを構える。

駅前の一等地にも空き家があった。
霞城セントラルのビルをも隠しそうなほど蔦は勢いを増している。

「こごからは侵入禁止だがらな!」
頭のてっぺんを熱くしながら金属ポールは立っている。
その下にはだらけたチェーンが地面に寝そべっている。

「暑いがらくっつぐなず」
「ほだごどゆたて一緒にいっだいんだも」
塀の反射とくっつき過ぎで、二人は熱々になりながら同じ格好で時を過ごす。

城南橋に陽炎が立ち、真っ白い日傘がふわふわと揺れながら遠ざかる。

「どさ行ぐ?」
「とにかく涼しいどご」
「んだら急ぐべ」
自転車にとって下りは楽だが、走る二人は息ゼイゼイ。

城南橋の手前に篠田病院がある。
その入り口にザクロが真っ赤に成っている。
なかなかの大きな木に成長しているけれど、通り過ぎる人にはあまり気づかれない。

ザクロの花は椿みたいな雰囲気もあるけれど、
そんなことを気にする風もなく、自転車が陽を浴びながら行き過ぎる。

ザクロの周りに醸し出される空気感を味わってみた。
そこだけが涼し気で、静かで、とろっとした大気が、
街並みと違った時間を過ごしているようだ。

城南橋と鈴蘭街の交差する十字路へ出る。
広い空を見上げれば、梅雨の掌に入るのはまだ先かと思わせる。

目にも鮮やかなキンシバイ。
その雌しべはカタツムリの目の様に大気の中へ触角を伸ばしている。

「くたびっできたのんねがよ?」
案内板の錆具合を見て声をかけてみる。
「ほだごどない。ちゃんと皆おらほば見で目的地さ向かうんだがら」
弱音を吐かない錆案内板の上を、我関せずと柔らかい雲が流れてゆく。

「ほんてん日本人てまじめだずねぇ。こだい暑いのにマスクしったじぇ」
なんにもせんたろうは陽気な性格そのままにヘラヘラいう。
※せんたろうさんすみません。なんにもは勝手に付け足しました。

「近頃の店はなんだかんだと張り紙ばかりじゃのぅ」
「どちらの偉い方かは存じませんが、そんな事より全身の暑さ対策が必要かと」

その像は十字屋跡の方(南側)ばかりを眺め、
運動部らしき自転車が脇を走り去ることには関心を示さない。
ま、お互い様だけど。

きょうの読書、あし・・・のあとに続く言葉はなんでしょう?
それを知りたい方はふなやま書店前へ。
あ、ごめんごめん。しゃちほこが暑さで口をパクパクしてることには触れないでしまった。

あの金太郎は大昔にも撮った覚えがある。
ということは大昔から売れてないということか?
そういえばなんだが色が剥げているような気もするし、ワゴンの破けも気になる。
鈴蘭街といえば、昭和30年代は行き交う人々が肩をぶつけながら歩くほど賑わってだっけのにねぇ。

「おれなのプラ篭の中さポイっと突っ込まっだんだじぇ」
傘が憤りを露にする。
「いいっだべ。おれなのプラ篭の上さただ置がっだだげだじぇ」
空き缶は投げやりに言う。
そんな中、お互い邪魔者扱いされていることで仲間意識が芽生えようとしている。

「学帽がぁ、懐かしいずねぇ」
「小・中・高て被ったっけもなぁ、あの頃は髪の毛もふさふさてよぅ」
この看板は毛生え薬の広告ではありません。

人通りもほぼ途絶え、樹木から伸びた葉っぱが走り去る車に揺れている。
いまや日中の鈴蘭街は郊外よりものんびり過ごせる空間に生まれ変わってしまった。

改築に改築を重ね、時代の流れであらゆる配線やゴミ箱が増え、
いつの間にかつまらない芸術よりずっと芸術っぽい抽象画が出来上がった。

一升瓶の並ぶガラス面へ日傘が映り込み、
ガラス面へ吸い込まれて消え去った。

ようやく元気を取り戻しつつある今年のモンテディオ。
街のフラッグも青い空へ向けて力強くはためいている。

衣替えも済んで数週間。
街を清々しい真っ白な姿が行き交う季節。

山交バスは意識してるわけでもないけれど、
街の並木の緑を窓ガラスに映しこんで大通りを走ってゆく。

数年前には十字屋の看板が誇らしげに空の一角を占めていた。
街は徐々に、いつの間にか姿を変えていく。
行き交う人々だって、数十年前には生まれてもいない人々だ。

日に焼けた健康的な体。
街は昔から何も変わらず、普段通り夏を迎えているようだ。
ただ、唯一マスクさえなければ。
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