◆[山形市]悠創の丘・芸工大を芸術っぽく遊ぶ(2021令和3年2月20日撮影)
今回の写真は撮影した画像にふざけた加工を施してます。
なんというか、魔が差したということです。
「いつもと違う!」と怒らずに、どうか気を悪くなさらずにご覧ください。

真っ黒い屋根が山形市の街並みを分断するように、
我が物顔で鎮座している。
その鋭角な屋根から放射状に雲を放ちながら。

悠創の丘から見える山形市街は冬の鈍色に沈んでいる。
雲間からは微かな希望の光が見えている。

空や太陽へちょっとばかり近い悠創の丘へ時たま訪れる人々は、
トイレへ駆け込み、そして自販機へより、
ちょっと眼下の景色を目の端へ入れ、
そそくさと車で立ち去る。

今日最後の光が盆地に紅色を敷いている。
真冬の強さとはかけ離れて弱った雪が、
どこかへ逃げようと地面を這っている。

空に何十羽の鳥を従えて、少年は暗くなり始めた芸工大の構内を走り去る。

芸工大から宇宙へ通じる芸術は生まれたか。
芸工大イズムは地球へしみ込んでいるか。

おどろおどろしく染まった空へ、能楽堂の屋根からベロを出す。

あんなに長いベロをで舐められたら、皮膚が粟だってしまう。
けれど、絶壁の後頭部を見られまいと強がっているのかもしれない。

日没寸前の光は、水面から浮き上がるように石ころの一粒一粒を浮き立たせ、
やがて白鷹の山に没してしまう。

空は穏やかに落ち着きを見せ、
惑星が芸工大の背後に何気なく浮かぶ非日常。

強烈な光が目を射てくる。
夕暮れの穏やかに落ち着いた気持ちへ針を指すように。

垂れ落ちる水の幕は、空中でバラバラに崩れて、
夕暮れの静寂の中で、ボチャボチャといつまでも未練たらしく空気をかき乱す。

芸術を極めるには天啓が必要だ。
天啓のないものには凡人の生活が待っている。

本物の芸術は日々の鍛錬や訓練や勉強で生まれるものではない。
ビガビガッっと閃いた者だけが、閃くことのできる者だけが本物の芸術に到達する。

硬い岩を穿って、樹木の枝が雷を恐れることなく空へ広がる。

10度にもなった風が芸工大の構内を駆け上り、
雪は退散し、松かさが寝ぼけ眼を辺りへ向ける。

松ぼっくりは硬い岩の上に集まって、
体をギュッと引き締めなら、夢を見る態勢に入っている。

冷涼な空気が構内を覆っている。
言葉を発したら、パリンパリンと凍って割れてしまいそうだ。

その向こうへ何があるのか行ってみたい。
二人の気持ちは、だたひたすら丘の向こうへ向いている。

能楽堂は誰かを威圧するように、重量感を際立たせている。
でも、能楽堂の重い威圧も二人の小さな世界には立ち入らない。

一瞬、トロッと蕩けるような時間が訪れた。
バス停も芸工大のサインも校舎も、ふわっとした心持になってしまった。

「留年したのが?」
幾星霜を経て醸し出された味わいが漂っている。

能楽堂の怒りが弾けた。
芸工大のボスキャラはベロを垂れて、人々を挑発する。

「まあまあ、ほだいごしゃがねで」
「人生楽しく生ぎっべぇ」
芸工大の幼稚園脇で、スキッ歯のおじさんが耳たぶを膨らませ笑顔を向ける。
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