◆[山形市]豊烈神社例大祭 空気が変わった日(2019令和元年10月6日撮影)

街のあちこちにこごまっていた夏の名残がスッキリ抜けた。
台風が去り、明らかに空気が隅々まで秋に変わった。

信号で止まっては画面を見、歩道を渡っては画面を見る。
そんなに見逃せないほどの事が小さな画面には広がっているのか?

台風が低気圧となって去り、
アスファルトに残された雨は、流れる雲を無心に見つめる。

要するに分別してほしいということ?
文字からは強い意志が発散されている。

ねじ曲がった電柱。
その曲がりを矯正するように、体中を金属ベルトで固定されている。
電柱のフシは、像の目のように悲し気な視線を向けてくる。

大気が秋色に変わったと、太陽も葉っぱも語っている。

「なえだて久しいもなぁ」
「なんぼになてたワクワクするっだずねぇ」
そんな言葉が聞こえてきそうな、華やいだ店の前。

秋のパリッとした冷たい空気とともに、
豊烈神社のざわついた雰囲気も微かに流れ込んでいるようだ。

「重だくて辛いがら、早ぐもいでけろぅ」
早く食べたい気持ちが、まだ青いアケビの気持ちを勝手に解釈してしまう。

路地を曲がった途端に社殿が目に飛び込み、
祭りの浮かれたような空気が顔に吹き込んでくる。

「何十年、子供ださ告知してきたんだべなぁ」
「いまは何にもいうごどないんだがぁ?」
何か言いたそうにしてはいるけれど、
もはや聞こえないほどのつぶやきになっている掲示板。

この場所で、この態勢が、打毬の観戦の仕方なんだと、
地元の人は知っている。

足がつりそうになりながら、つま先だけで体を支え、
塀にへばりつく観戦方法。

馬にまたがる打毬を見たいと、珍客も訪れる。

「なえだてかすますいったらぁ」
「んでも、よぐ毎年集まるもんだまなれぇ」
群がる観客から一歩身を引き、自分の世界で観戦する。
「ほごから見えっかや?」

「早ぐ来ねど終わてしまうがらなぁ」
そんな風に人の気持ちを浮き立たせる響きを残して走り回る。

正面側に回ってみる。
さすがに立派な門構えが人々を迎えてくれる。

「後ろ側さ回らねでな。蹴られっから」
そんな注意を受ける間も、馬はベロベロ。

毬をすくい上げる毬杖(きゅうじょう)をそのまま止めてとお願いする。
その図々しいお願いにお姉さんは愛想よく応じてくれ、先っぽのトンボもしばらくじっとする。

毬杖(きゅうじょう)の先っぽはこんな形。
ここで毬を掬って的へ投げ入れる。
山形では一年で最後のお祭りになる豊烈神社例大祭にトンボはよく似合う。

打毬を観戦するには特等席だと社殿の脇に腰を下ろし、
二人並んで肩肘つきながら馬に目を凝らす。

後日テレビでも放映されるらしいので、
とりあえずこんな感じと分かる光景も載せておく。

まさに頭隠して尻隠さずを地でいっている。
「誰だて幕なのあったらめくて見っだぐなるっだずねぇ」

「どれどれ、なんたや?」
背広のおじさんが靴もピカピカに本部席へ上がっていく。

「こごらげで分がんねぐなるはぁ」
「ほだごどやねで、ぎっつぐゆすばいでけろ」

投げ入れられる毬。
色や白線、黒線の意味がさっぱりわがらね。
はっきり分かったことは、手作り感があり、
毬の一つ一つに個性があること。

社殿と社務所を結ぶ渡り廊下の窓。
映りこむ木々の緑は、まるで窓の内側に本当に存在するようだ。

薄暗い社務所内をちょいと覗いてみた。
足元にはひときわツルっとして周りを映しこむ神主さんの履物。

今日ばかりは白布をまとい、厳かな雰囲気を醸す社務所の入り口。

「鍋ば洗うて、こごで芋煮会でもするんだべが?」
神社の人にしか分からない事情があるんだべね。

「脇から割り込んで悪れなっす」
「こだいいい笑顔、写さねでいらんねっけがら」

しっかりと支えて、絶対離さないという父親の意思。

「牛はモーモー、馬はパカパカだがらな」
「牛がモーモーだごんたら、馬はヒヒーンだべ」
つまらないことを頭に巡らせている時間はない。
まさに目の前にベストショットが待っていてくれるのだから。
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