◆[山形市]小姓町 夜の静寂に昭和の残像(2019令和元年5月3日撮影)

日が暮れて、ロマンロードに灯りが灯り始める。

西空の端には、かろうじてオレンジ色が残っている。
街の中はすでに自販機の灯りがまぶしい夜が支配し始めている。

パーキングの灯りが一際際立つ。
忘れた頃に車のライトの光芒がゲートをくぐっていく。

小径の街灯は足元を照らし、
家々の窓から、家族の幸せとともにぬくもりの灯りが漏れてくる。

車の音が流れ込んでこない小路。
人々の日々の営みの音だけが耳をくすぐってくる。

暗がりの中に灯りが灯っている。
両脇を建物に挟まれ狭く暗い参道を灯りへ向かう。
東前稲荷の地面へ静かに灯りが降りて染みこんでいく。

駅前大通りの喧噪をよそに、
一足先に夜へ馴染んでしまった一本外れ道。

昭和には遊郭もあり、人々の往来も夜まで絶えなかったと聞く。

内にこもった光は山形人らしくワニて、
そっと外を伺うだけ。

それぞれの商店から、それぞれの仕事に打ち込む音がアスファルトまでこぼれていた日中。
冷え冷えとした空気がアスファルトと添い寝する。

車の光芒が過ぎ去ったあとには、
前にも増して静寂が濃密になる。

家路を急ぐ車が急ぎ足で走り去る。
両脇の家々では家族が暖かい夕餉を囲み、令和の未来を語り合う。

昭和の栄華はまた遠ざかってしまった。
小姓町といえば花小路と並んで山形を代表する夜の街だった。
ロマンロードの灯りは益々切なげに瞬いている。

誰もいないのは分かっている。
だからこそ小姓町公園へ足を踏み入れた。
八重桜は豊満な花びらを闇の中へ溶け込ませている。

みんなどこへ行ってしまったんだ。
子供の遊ぶ姿や、それをやさしく見守る母親の姿が、
幻影となって闇の中に浮かぶよう。

声を掛けるのも憚られる。
じっと整列するブランコは、闇の中でピクリともしない。

再び生活音が恋しくなる。
暮らしの様々な匂いや音が漏れ出てくる小径で、
それらを軽く踏みつけながら奥へ入り込む。

静かに街灯が数メートルの周りを照らし続けていることが、
その地域の平和の証なんだと、しみじみ思う。

うらぶれた姿を目の当たりにし、
再び昭和の栄華の残像が目の前の無残に覆い被さる。

表の綺麗な部分だけを見ていればいいものを、と思いつつ、
感傷という感情が、目を背けさせてくれない。

闇が深く入り込み、みっしりとした重みを感じる。
もはや人が入り込む余地などないほどに。

闇へ抗うように灯りが見える。
心が緩み、そっちへ行けと本能の糸が引っ張っていこうとする。

スズラン街はいつの間にか飲食ストリートと変化し、週末の夜ともなれば若者が闊歩している。
昭和世代は小姓町や花小路に安息の地を見つけるしかなかったか。

ロマンロードをスーッと光芒が糸を引いた。
ハナミズキが後を追うようにフルッと揺れた。

「現役なんだがっす?」
「当たり前だ。見れば分がっべ。」
あまりにもキリッとして品格があり、ちょっとしたことには動じそうもない。
確固とした昭和の思い出を、ドアの中にみっしりと詰め込んで佇立する。
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