◆[山形市]若葉町・六椹八幡様 踏切の音と梅の花(2019平成31年3月10日撮影)

「俺の鼻さ、何ぶら下げでるんだずぅ!」
ケヤキの瘤は怒って飛び出している。
細いハンガーは、その鼻息で吹き飛ばされるのではないかと、
怯えながらぶら下がる。

サルノコシカケが鳥居をくぐれば迎えてくれる。
猿は腰掛けず、春の光が長旅を終え、ゆっくりと居座っている。

「育ちすぎるとバッサリっだなぁ。」
育ちすぎたせいで地面が波打っている。
平らな物を波打たせると切られる社会が良いのか悪いのか。

山形の街中には毛細血管のごとく堰が流れる。
これは笹堰の一部だろうか?
「とにかく先さ行ってみっべ。」

「ありゃま、二手に分がれっだじゃあ。」
「家並みば抜げ、細道ば探て、堰の探索さ出がげんのも山形の楽しみっだなねぇ。」

「なんかおもしゃぐない?」
「なにが?」
「んだてバイクど厠だじぇ。」
混在するという楽しみ。

西高を目の端に捕らえ、受験の日だっけなぁと頭の隅をかすめる。
よし、山交バスが通り過ぎたら若葉町へ足を踏み入れよう。

石塀の向こうから、キラキラ輝く椿が顔を出す。
陽光と交じり合った赤がまぶしい。

若葉町へ足を踏み入れるということは、平成から昭和へ入っていくということ。
駅から近いのに再開発はされず、郊外のように新たな道が出来るでもない。
奥羽本線の鉄道沿いで、ただひたすら変化を好まず佇んでいる街。

「お前だ退屈しったのがぁ?」
「んね、しゃますしったんだぁ。」
「こだい天気いいどぎ、何しゃますすっごどあるや?」
「雪少なくて失業したもはぁ。」
背後の簾は迷惑げ。

若葉町の真骨頂の光景が広がる。
「駅から徒歩10分くらいの場所でもこの光景なんだじぇ。」
「平成の次の元号になても、ずっと残てけろなぁ。」

なえだず、見慣れね緑色の囲いが通りの先に見える。
若葉町は変わらなくても、駅西に建設中の県民会館が風景に変化をもたらしている。

「今年初のふきのとうばやっと見つけだぁ!」
興奮で指先が震える。つまりシャッターを切る事がなかなかできない。
もってけドロボー的にあちこちに頭を出しているけれど、
誰も見向きもしない。ただ穏やかな日差しがゆったりと地面をたゆたっているだけ。

興奮ついでにグッと寄ってみる。
ふきのとうの鼓動が聞こえ、その呼吸すら感じられるような近距離。
よく冬の間耐えてきたもんだ。

夏草の遺産が空に哀願しているようだ。
崩れ去る日も近いのか。

ポロポロ、ポロポロ地面へ落ちる。
トタンは雨風を凌ぐには脆すぎる。

陽光は若葉町の道を白く照らしている。
どこからか踏切の音が流れてくる。
列車の巻き上げた風の音もあとから追いかけてくる。

すぐそこに五日町踏切。
駅南アンダーができてからすっかり通行量が少なくなった。

無目的に壁を這っていたあの頃を思い出し、
今、老残を晒す。

椿が春の日差しを楽しんでいる。
そういえば今日は高校受験日。
椿の花は役目を終えると花ごとボタボタ落ちるから、
受験生は目を背けて通り過ぎるべし。

今の時期、どこにでも咲いている椿に近づいてみれば、
人が気づかぬ小宇宙が広がっている。

「みんな元気出せ!春だじゃあ!」
「植木鉢もプランターも今から大車輪で活躍さんなねんだがら。
おっと、ガスボンベは隅っこさ隠っでしまたがはぁ。」

「使い古した包帯ででも、ゆすばがっでだんだが?」
その必死にしがみつく布きれが、陽春の空に悲鳴を上げているし、
プラ篭は自分の重さが申し訳なさそうだ。

60年来のかかりつけ医が休業してしまった。
その玄関脇に薄汚れたマスクがぶら下がっている。
来院した患者が落ち込んで、マスクを外して置いていったのか。

大通りを一本外れれば、そこには生活が垣間見える。
そして、霞城セントラルも間近に見える平成の光景。

ひょろひょろと伸びる細い指。
おそるおそるその指を伸ばして、大気の感触を確かめている。

春は本当に黄色い花が多い。
福寿草・マンサク・水仙、みんな早春の花。
で、宝光院に咲くこの花は何?

八幡様の社務所でなにか子供のイベントがあったらしい。
次々と親子連れが出てきて境内を通り、
背中に暖かい日差しを背負って家路につく。

「曲線が見事だすねぇ。」
「いやいや、見事な赤い色だごどぉ。」
春の入り口で、社殿と梅はお互いを褒めあっている。

社殿を背景に、光を満たして梅がほころぶ。
六椹八幡宮を覆う大気は、梅の花びらのまばゆさで冬からようやく目が覚めた。

「股の間から足が生えっだ!」
「んね、足が四本だ!」
娘と父親のじゃれ合いが微笑ましい。
砂利を踏みながらのじゃれ合いは、やがて車に乗って走り去った。
そしてその娘も大人になれば父親の元を去って行くんだろう。
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