◆[山形市]両所宮 びじゃかとすっぱね(2019平成31年1月2日撮影)

数日前まで太平洋側みたいな季節が続いていたのに、
やっぱり山形は山形だった。
当たり前に雪が降り、当たり前に雪かきをする生活。

「なんだが赤くプチプチて芽吹いっだんねが?」
「まだ正月だじぇ、どれぇ、んだりゃぁ。」
冬来たりなば、春よすぐ来い。

髄神門に晴れやかに掲げられた国旗。
それを見上げる余裕もなく、人々は足元に気をつけながら初詣。

あの高さからの雪が直撃してしまった人がいるのだろうか。
いきなり正面に「立入禁止」には怖じ気づいてしまう。

二日になっても人々の列は続く。
両所宮の吸引力に驚くばかり。

拝礼の後に食べるか、拝礼の前に腹ごしらえをするか、それが問題だ。

「んごぐど汚れっから。」
かといって汚れずに歩くことも不可能。
こんな場所で車を降ろされたら途方に暮れる。

樹木は冬の間に藁を巻いて幹を守って貰う。
両所宮の樹木は、おみくじを巻いて枝を守って貰う。

これらの願いを見た神様は、あまりの多さに気が重くならないのだろうか?

手がかじかんで旨く結べない。
それでも結ばなければ2019年は訪れない。

「結ぶ前に撮っておがんなねっだな。」
スマホで撮っておくなて、しゃねがった。
今時は誰でもそうなのか?

初詣準備で疲れ切った体に、午後の光が優しく注ぐ。

「何撮ってるんだ!?」
「毛糸の帽子をかぶった子供をお父さんが抱っこしてんのわがんねがよ。」
二つの影はぴったりくっつき、白い息を吹きかけていた。

「ありゃ、外っでしまたはぁ。」
賽銭箱から外れたお金はどこかへ転がり落ち、消えた。
この人の2019年はどうなるのだろう?

結ばれたおみくじは、雪を被り、雪が溶けるを繰り返し、
枝に同化してしまうのか。

1月2日の陽も傾いてきた。
人々の影も伸び、伸びーる餅を食べる時間が近いことを腹が脳へ伝えてくる。

山形人は雪とびじゃかを避けながら歩く術に長けている。

びじゃかとすっぱねは冬の山形と切っても切り離せない。
これを制覇せずに山形では暮らせない。

何故女性用ブーツが片方?
誰かが拾って、ここに置いてくれたのだろう。
黄色地に赤の矢印は、靴を差してあげるべき。

泳ぐか氷の上に立っているか逡巡する。
どちらにせよ冷たいことに変わりはない。

夕暮れ近くの空が波間に映っている。
カモたちのねぐらはどこなんだろう。
足はしもやけにならないのだろうか?

雲間から陽が差せば、カーッと浮き立つ赤い橋。
日が陰れば、周りに同化して大人しくなる。

当たりの空気は頬に痛いほど冷たい。
カモたちは大人しくじっとしている。
小島の中で、熱を持った願い事が静かに神様に伝えられる。

「もうちょっと綺麗な格好で、晴れ舞台さ立づだいっけ。」
「んだげんとも、二人で並んで立づいだげでもいがったべ。」

冬日は傾き、力を失っていく。
辺りを照らしたすぐ後には、夕闇が待っている。

今日最後の力を振り絞って、鳥居に光を届ける太陽。
鳥居はありがとうと体で照り返す。

「今年もいい年になっどいいねぇ。」
家族の白い息が寒気の中で絡み合う。

「おら寒くて体が動がねはぁ。」
「動がねのが仕事だがら。」
「おら寒くて口が回らねはぁ。」
「口が回らねくても、下げ札がゆてけっだがら。」

見上げると髄神門の上に冬の空が青く広がっている。
北の鎮守両所宮と、南の鎮守六椹八幡神社で力を合わせて山形を未来へ導いて欲しい。

畑の畝が西日で盛り上がって見える。
いや、違った。これは屋根だった。
今年で「山形市の街並み」も満20年。
どこまで続けられるか、皆さんも見守ってください。
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