◆[山形市]印役・双月 雪はまだまだ遠慮気味(2018平成30年12月9日撮影)

一晩でこんなに積もるなんて!
いや、一晩路駐するとこんないたずらをされるなんて!
寒かっただろうに、車は笑顔。

なんだかんだいっても、まだまだ雪は遠慮気味。
地面にそっと触れ、様子をうかがっている。
これが真冬になれば、がっちりと力ずくで地面を掴むようになる。

馬見ヶ崎川に沿って双月の土手を歩く。
太陽のまぶしさに当たりは真っ黒に見えてしまう。

秋を引きずってぶら下がる物には、満遍なく綿帽子がかぶせられる。

雪はいたずらも大好き。
わざとゴミ出し時間が見えないようになっている。

蜘蛛の巣に引っかかった運のない葉っぱは、
雪解けの水分を吸い込み、じっとり濡れている。

「土手のあっち側ば見でみっだいずねぇ」
ひょろりと伸びた茎は最後の力で伸びてみる。

「なんだが馬見ヶ崎橋の印役側は光景が変わてしまたずねぇ。」
「昔の面影なの、ほとんどないじゃあ。」
益々昭和は彼方へと遠ざかる。

「昨日までは雪なの、どさも無いんだっけがら。」
「雪はあっという間に景色ば変えっからねぇ。」

馬見ヶ崎橋の印役側をパノラマで撮る。
俺の御用達だった「おおとや店」が消えているのにはがっくり。
橋周辺はすべてが、新しい物に入れ替わってしまった。

昔ながらの灯籠?だけはかろうじて昔のままのデザインが踏襲された。
橋から眺める木立も千歳山もそのままでホッとする。

馬見ヶ崎河原を象徴する枝振り。
昭和初期のセピア色の写真を見ても、この松が写っている。
これからも息長く馬見ヶ崎を見守って欲しい。

土手脇の小さな公園では、開店休業の滑り台が、
黙って雪を滑らせている。

パステルカラーが剥がれ落ち、少しずつ地の木目が見え始めている。
その端正な姿に雪は添え物のように周りを囲う。

時折雲間から太陽が顔を出す。
当たりの雪はパーッと輝き、浮き立つ姿を見せている。

さっき見た馬見ヶ崎河原の象徴を反対側から眺める。
ふと、子供の頃、親戚中が集まって行われた芋煮会の写真にも、
この松の木が写っていたはずと頭をよぎる。

河原の土手から住宅地に降りる小径は至る処にできている。
ここは車も通れる道だが、けもの道みたいな箇所が至る処にある。

やはり手書きは暖かい。空気は冷たいが。
年賀状も手書きは暖かい。印刷は冷たいが。

花びらは雪の重みから、雄しべ雌しべをかろうじて守っている。

もはや脱力して無表情になってしまった「整理整頓」の看板。

ひさしに雪が立ち寄った。
力尽きるまでの腰掛けだろうけど。

流れる雲を遮るように、人間社会では電線という蜘蛛の巣を張り巡らせている。
餌が掛かる必要はないが、雪が引っかかるのは困る。

八つ手はポンポンと花火のように弾けながら、水滴をまとっている。
山寺街道の濡れた路面では、光が散乱している。

「こごらげでしまうべなぁ!」
一本の電柱に、これだけ複雑なあやとりを施す技術者に感服する。

山交の千歳公園待合所が小雪のちらつく向こうに見える。
河川敷には、馬見ヶ崎橋付け替え工事用の重機が雪に埋もれている。

馬見ヶ崎川土手の遊歩道を歩く者はいない。
かつては猫があちこちに屯していたけれど。

この木立は何のために河川敷に植えられたのだろう。
いつみても不思議な世界をまとっている。

タイヤは植木鉢の役割を担っていたが、
雪をかぶり眠りに付いた。
何かの茎だけがツンツンと周りの様子をうかがっている。

シャーッと近づいて、シューッと走り去った。
わずか数秒、空気が激しく舞った。
私の脳みそも突然のことに、激しく動揺した。

「おまえ、もしかしてコスモスだが?」
「答えたくない。」
コスモスはあでやかな姿だけを人間に見て欲しかった。

白く千歳山が浮き上がって見える。
その上をもっと白い雲が流れてゆく。
雲間の太陽が、当たりの光景をめまぐるしく変えていく。

「早ぐあべはぁ。寒くていらんね。」
人が去った後、自販機とミラーは再びお互いを意識しながら、いつまでも向き合うことになる。
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