◆[山形市]気仙沼さんま祭りin山形 煙の中をトンボ舞う(2018平成30年9月23日撮影)

なんだかんだと能書きを垂れる看板達。
看板を責めてもしょうがないか。

「西門って、にしもんなんだな?」
ひらがなだということに気づき、
今更ながらに、現地へ行かないと分からないことが多いと思い知らされる。

まだまだ緑濃い園内に、子供の歓声がこだまする。

「おまえば見っどよぅ、秋ば感じんのっだなぁ」
くるっと丸い杭に目を回さないトンボがくっついたり離れたり。

霞城公園は生きている。
今はまだ新たな霞城公園への脱皮中。
あちこち工事だらけだし、
そうえいば市営球場が消えていた。
夏草がフェンスに絡みつき、珍しく強い光が地面を照らす。

「もう落ちる準備が?」
「茶碗蒸しさ入てんのは旨いげんとも・・・」

バイクのミラーにも銀杏。
間もなく晩秋の得も言われぬ臭いが霞城の杜を覆うんだな。

山形で大漁旗を見られる事なんて、普段はあり得ない。
山国山形へ海の物が大挙してやってきた。
海の物とも山の物とも分からない?
表現を間違えた。海の物に山の者が食らいついている。

太陽でさえ煙たいというほどの煙。
立ち上る煙は放射状に輝きながら霞城公園の空へ立ち上っていく。

若い人たちの力がイベントを成り立たせている。
高齢化社会にあって、若い人たちの意識と意欲は貴重だ。

数年来ていなかった間に、さんま祭りは進化していた。
扇風機のおかげで、煙を一定の方向へ流すことができるんだねぇ。
やっぱり人間は学習する生き物だ。

頭巾から飛び出た髪の毛が可愛い。
それはともかく、サンマ焼きのボランティアの方達の衣類は捨てるしかないという。
洗濯しても臭いは抜けないそうだ。

公園内はサンマの匂いが充満している。
おそらく樹木からは、一週間ほどサンマ臭が漂うに違いない。

「あど無いんだどはぁ」
「お客さんさ、ごめんなさいっだなねぇ」
「あたしだの分はあんだべねぇ」
自転車は密かに聞いている。

「やっとありついだぁ」
ようやく奪い取った肴をむさぼり食う猫のように、あ、失礼。

花びらに興味を抱くのは女の子の定め?
見つめる顔は笑顔になっている。

サンマが入っていた発泡スチロールは、
人知れず、いや、人前でバキバキに折れ砕かれていた。

親子のキャッチボールがうまくいくことほど良いことはない。

「誰もしゃねべ?ペロリンの足」
ちっこく短い足が、巨体を一生懸命支えていた。

日本人はなんでも計りたがる。
ホルモン残数もメーターになるなんて。

柿食えば鐘が鳴るけれど、
牡蛎(かき)食えば喉が鳴る。
もしかしてサンマの行列の次に凄い列ができている。

「ぺろっといぐだいずねぇ」
山形人にとって海の幸はとっても魅力だ。

すでに完売、いや完食されたというのに、
名残惜しげに、行き先を定めず煙が漂っている。

ケヤキの木が本丸をガチッと守っているように屹立する。

「雨が止んでいがったぁ。」
雨が止んだらやんだぐならねで、人々は外へ飛び出す。

「なんだて、ほだいはんばがてぇ」
子供の頃は体が柔軟。
何故か子供は誰憚ることなく、人前ではばがる。

イベントのある日なら、どこへ座っても無礼講。
人々は思い思いの場所で、家族の時間を過ごす。

こんな向かい方もあり。
夫婦も恋人も、様々な向かい方がある物だ。

キンモクセイの甘い香りが当たりに漂う。
これも秋を告げる匂いのひとつなんだろうけれど、
サンマの匂いと混ざったらオエッとなりそう。

あまりにも日差しが強いため、
霞城公園の看板を見ても何が何だか分からない。

西門の岸辺の近くで、命を紡ぐ作業に一心不乱。
レンズを近づけても微動だにしない。

ナンの上でも睦まじい二匹。
「ナンの上んねがら!俺の指だがら!」
堅いコンクリートの上でより、ナン、いや俺の指の上の方が心地良いらしい。
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