◆[山形市]双葉町・五日町・幸町 五月の王道をゆく(2018平成30年5月20日撮影)

「この頃、どごの店が閉店しただの、無ぐなただのていう話ばっかりだべした。
その反動で、新県民会館がどごまで出来だが興味あんのっだな。」
「奥の方さ見えるテルサど比べでも大しておっきぐないんねが?」
「テルサと新県民会館は、どだごど連携するんだべ?」
「テルサは市、県民会館は県だも、なんたんだべなぁ。」
お互いの建物同士が向き合って、どんな表情を向けて良いのか迷っている。

「中さ入んなよ!という高圧的な態度の塀が、
ある時を境に、急に市民へフレンドリーになった。
もっと言えば、死んでいる塀に生が与えられ人間の気持ちが芽生えた。

ハナミズキがあっという間に去ってしまった。
それに変わって登場したのがヤマボウシ。
こぼれ落ちる陽光と、新県民会館建設の槌音を浴びながら咲き誇る。

「さて、このなかに本物の人間は何人いるでしょう?」
あまりにカラフルで、そこを通り過ぎる人々が絵の中に溶け込んでしまう。

駅西唯一の日陰を確保できる場所。
何故か人々よりも、自転車がいっぱい日陰を利用してるんだずねぇ。

五日町へ向かうのに、工事現場を大回りで迂回する。
工事関係企業の旗が、誇らしげにたなびいて、光を散乱させている。

「ちっちゃな虫の気持ちになてみろ。
花びらなのみな空の星みだいに見えでいるんだじぇ。」

風は乾燥して肌に心地よく、日差しは一直線に地面へ降り注ぐ。
暑くなく寒くなく、五月の王道を歩いているような気分になってくる。

「なえだてビルばっかりニョキニョキ建づずねぇ。」
「オラだはタネば飛ばして役目ば終えだがら、あどはビルばながめでるしかないはぁ。」

ニセアカシアの白い花びらが古びた建物を覆い尽くしている。
「こだんどごさ、こだいでっかいニセアカシアがあるなてしゃねっけぇ。」
なんと十メートルはあろうかという樹木に白い花びらが鈴なりなんだ。
きっと東洋ソーダがあるころから、あのくっさい臭いを嗅ぎながら育ってきたんだろうな。
くっさい臭いを嗅いで育ったのは私も同じ。んだて三中出身だもの。

テルサの壁面が太陽光を反射する。
そんなことはお構いなしにスマホを見入る。
若者に対しては、太陽光よりスマホの方が絶大な影響力がある。

この一角だけは、まるで仙台の街中のよう。
仙台は東京をまねてリトル東京となった。
山形は仙台をまねてリトル仙台を目指すんじゃないだろうな。

植物に上昇志向のないものはいない。
上を向く姿は誰が見ても美しい。

上町や五日町は、山形市の南西部に位置する端っこの古い町だった。
なのに山形駅に近いものだから、古い物、新しい物が混在するヘンテコな光景が散りばめられている。

クレマチスは競って空を目指す。
空はあんなにまぶしいのに、クラッと立ちくらみすねんだが?

五日町は面積の小さな町。その町の真ん中に小さな五日町公園がある。
「ほれ、自分の力でぶら下がてみろ。」
「んだて、おんちゃんのカメラが気になてやりづらい。」
「ゴメンなぁ。おんちゃんなのいねつもりでいでけろ。」

人生初の自力でのぶら下がり!
「いがった、いがった!」
お父さんも大喜び。私もその瞬間に立ち会えて満足の笑みを浮かべる。

休日の公園の端に咲き、親子の小さな交流を見守るアヤメ。

藤棚の真下には真っ黒な塊が地面に伏している。
いかに太陽光が力を込めているかが嫌でも分かる。

両側を建物に遮られようが、すぐ隣に車が停められていようが、
オダマキは光が差し込むと我先に輝きを放つ。

紅葉の先端が、一斗缶の口にそっと忍び込もうとしている。
のどが渇いた訳でもあるまいし、もしかしたら油が入っているかもしれない。
紅葉の好奇心を理解するのは難しい。

勢至堂の敷地に足を踏み入れる。
地面にはまだら模様の影が落ちている。
「消ヒ税ナシ?」なんだこれ?
トイレのドアに貼られた意味不明の張り紙が微風になびいている。

けっしてゴジラんねがら。
その姿は確かに雄叫びを上げるゴジラの雄々しい姿。
でも、実は心優しい銀杏の木なのでした。

また撮ってしまいました。
「んだて、踏切ば渡る新幹線て珍しいべ?」

五日町踏切の周りには家が密集していた。
でも、いつの間にか家が取り壊され空き地になっていた。
空き地のおかげで踏切まで見通せる位置で、それも時代の流れさと牡丹はあっけらかんと咲いている。

ギラギラと力の漲った新幹線が走り去る。
一泊遅れて、花びらが微かに泳ぐ。

知らない人は知らないけれど、実は五日町踏切のちょっと北側に、
人や自転車がくぐれる小さなトンネルがある。
それはさておき、その近くの壁面にボルトが突き出ている。
ボルトは壁面に長い影を伸ばしながら、ツンツンと突き出ている。
「ぶつかっど怪我すっぞーッ!」

その小さなトンネルをくぐると、目の前には三の丸の面影が残っている。
石垣のある通りは窪地のように周りより低くなっている。
あの石垣の上にはかつて家があり、そこには汽車ぽっぽのおばちゃんが住んでいた。
汽車ぽっぽのおばちゃんという名前は私が勝手に付けた。
踏切に近かったからだったんだろうと、遠くを見る目で思い出す。
なにしろ50年以上昔の話だから。

日陰に頭を突っ込み、尻は隠さず日に当たる自転車たち。
樹木や生け垣、草花たちは慈愛の目で自転車を見守っている。

三の丸跡を抜け山形駅方面へ体を向ける。
「あれ?霞城セントラルより高い旗立ってだどれ。もしかしてお祭り?」

細い路地を抜け福満稲荷神社へ入り込む。
地域の人々が日差しを避け、木陰に集まって御輿の時を待っている。

これを指で回すときは興奮で心が震えた。
そして、何回も挑戦しては膨大なみそおでんを食う羽目になってしまった。

浮き立つざわめきの中で、
涼やかなラムネがツンとすまして整然と並んでいる。

「肩さタオルなの掛げで、親爺みだいだどれ。」
「親爺て楽しいもんだじぇえ。何にも卑下すっごどないべした。」
蛇口の水は表面張力で、かろうじてこぼれていないが、
何か喋ったら、あっというまにこぼれ落ちそうだ。

大通りからは外れている神社なので、本当に幸町の人しか知らないお祭りなのかもしれない。
山形駅からほど近く、いわば街の真ん中という立地なのに、脈々と受け継がれる祭り。
祭りとは一年に一回、人々の絆を再確認させる行事なんだなぁ。

この天気だもの、御輿の先端は一際ギラギラと輝いている。

「御輿行列はまだなんだべが?」
子供達は興奮で一瞬の時間も体を止められない。
ブランコを揺らし心を静めようとしながら、そのときを今か今かと待っている。

漕いでいないと影が地面に焼き付いてしまう。
それほど太陽光が強烈だ。

ダランと伸びた紅白の紐。
地面で熱せられ、その後は子供達の小さな手に握られて市中へ引っ張られていく。
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