◆[山形市]護国神社・薬師堂 平成30年始まる(2018平成30年1月1日撮影)

「なんだて馬見ヶ崎川の水面がキラキラ輝いっだごど。」
「んねっす。初詣用の駐車場で、車の屋根が光てるんだっす。」

「天気いいくていがったじゃあ」
自分の影を引きずりながら護国神社へ向かう人々。

「しっかし、ぶずでっかい狛犬だずねぇ。」
「人間なの、あの足の爪一つ分の大きさしかないんだじぇ。」
正月から大げさな嘘をつくのは、青空が広がって気持ちが大きくなったから。

やっぱり光のある正月はいい。
初詣を終えた人々は、正面から太陽の光を受けてまぶしそう。

「やっぱり笑顔で迎えっだいずねぇ、正月は。」
アンパンマンが長蛇の列に笑顔を振りまく護国神社。

「おとうさんまだぁ〜」
生きていくためには、列に並ぶ事をマスターしなければならないとお父さんは体で教える。

整然と並ぶ国民性。割り込みなどまったく見かけない。大声を上げる者もいない。
そして大人しくソロリソロリと進む。
日本人は、そして山形人は人間として成熟期を迎えているようだ。

「芸術家が、白いベレー帽なのかぶて。」
茶化したらギロリと睨まれ、思わず目をそらす。

初詣だけは手水舎で清めることを免れるのだろうか。
真新しい柄杓は開店休業状態。

「♪さあ、寄ってらっしゃい、見てらっしゃい♪」
シャンシャンと鈴を振り鳴らしながら、巫女さんが初詣客に呼びかける。
また。うそつきました。そんなこと巫女さんがするわけない。

お賽銭を入れ、拝礼が済んだあと、人々は縁起物コーナーへ導かれる。

お守りや各種縁起物が飛ぶように行き交う。
巫女さんたちも寒いと言っている暇がちょっとしかない。
「ちゃんとホッカイロ背中さ貼ってだが?」

「こいずは孫の手だが?」
「熊手です。」
「なんだ背中掻がんねのが。」
「掻くものではありません。」
巫女さんは完全に目をそらしてしまった。
※想像の会話です。

破魔矢はキチンと並んでいる。

モップと箒はダラリと並んでいる。

初詣を終えた人々は、曇り始めた空を気にしつつ、
薬師堂裏の池の端を帰路に就く。

「山形らしい光景だべぇ」
「薬師の杜が地面さも映ってみえるんだじぇ。」
「一粒で二度美味しいみだいだべずや」

「ちょろちょろて、まんずピント合わせんの大変。」
平成30年はピントのずれない生活を送りたい。

寒気の中に熱の揺らぎが立ち上る。

初詣もカラフルになたもんだ。

「「火の用心」てあっげんとよ、頭上の落雪注意のほうが今は大切だべ。」

落ちるに落ちられず、枯れ葉が細い枝にぶら下がる。
落ちずに平成30年を迎えられたのは喜ばしいことかも知れないが、
人間だってただ寿命が長ければいいのでは無く、健康寿命が大事。
枯れ果てて落ちないことが幸せなのかは分からない。

「納豆餅食うべはぁ」
ドロドロの歩道を見つめながら、家に帰ってからの算段をする。

「熱っづい!げんともっと近づぐだい。」
熱さと寒さの狭間で手をかざす。

「やんばいな正月だっけなぁ。」
好天に恵まれ、足取りも軽い。
「くれぐれも転ばないように気ぃつけでけろな。」

「プーレクてなんだ?」
「な〜んだ、クレープがぁ」

「火の用心」の背後に青い文字が微かに見える。
「なんて書がったんだべなぁ。」
「ビローンと伸びでいねで教えでけろスノーダンプ。」

池の水はいつになく澄んでいる。
カモはネギを背負うこともなく悠然と水面を滑っている。

「血の池地獄んねがらね。」
「赤い橋の欄干が反射してるだげだがら。」
カモにはそんなことはどうでもいいようだ。

「なんなんだず、真っ赤になてしもやけがぁ」
氷の断片に乗る足は、痛々しくさえ見える。

「お供え物が卵なて珍しいねっす?」
「こごはよ、白蛇が神様なのよ。」
なるほど納得の池の真ん中の小さな祠。

「スマホずぁ便利だもなぁ」
近頃はおじさんだってスマホを上手に使っている。

「えい!」
「ちょっと〜、おらだの餌は?」
カモはこっちにも餌を投げて欲しいと子供の顔を覗き込む。

次から次へと集まるカモ、だけじゃなく鳩も割り込む。
カモや鳩にとっては、この親子は神様に見えることだろう。

カモや鳩たちを従え、満足げな家族。
鳥へ餌を与えた満足感と、子供たちと触れあえた満足感の一石二鳥。

氷の軋みが微かに聞こえるその奥を、
初詣の人々が黒い影となって行き交っている。

平成30年がスタートした。
今年も様々な人間が交差して行き交う事だろう。
でも、その交差も徐々に減っていく。
だって、人間そのものが急激に減ってきている社会なのだから。
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