◆[山形市]山寺 賑やかさ皮膚から染み出る汗みどろ(2017平成29年8月15日撮影)

一円玉が薄暗がりの中でキラキラと光芒を放つ。
「昔っからこだなごどすっけがなぁ?」
汗を拭き拭き、熱く茹で上がりそうな脳みそで思い出そうとする。

「あど駄目だはぁ」
「動がんねはぁ」
「降りっどぎのほうが気ぃ付けらんなねがらな」
いろんな感情が口を突いて出る、ほぼゴール地点。

友人から「いっつもトリッキーな写真撮っずね」と言われる。
今日は我慢して、とりあえず無難な、ありきたりな、パンフでも見かけるような写真もアップしておこう。

終戦記念日だというのに、なんと観光客の多いこと。
しかもあちこちから、明らかに中国弁が聞こえてくる。
国民性なのか中国の方は声がやたらと大きいし、周りに聞こえることもお構いなしだ。

皆、五大堂の展望台からの景色を眺めて降りていく。
そこからちょっと外れたところで、お供え物が揺れている。

五大堂の喧噪が湿気とともに流れてくる。
お供え物たちは達観したように自分たちの世界に入っている。

「見ろほれ、車があだいちゃっこい」
自分たちがいかに頑張って石段を登ってきたかを確かめるための会話があちこちに満ちる。

五大堂は景色を眺めるとともに、水分を補給する場所でもある。

五大堂からの景色は、山形県人に言わせればたいしたもんじゃない。
あまりにも在り来たりなただの山並みだ。
その中で特筆すべきは仙山線の存在。
電車と山寺駅舎が唯一の光景の中でのスパイスとなっている。

ローカル線の小さな駅なのに展望台が設置されていること自体珍しい。
仙山線を降り立った観光客たちは、まず展望台から山寺の全景を視野に入れ、
いまから登るための気持ちを高めるんだな。

「おらぁ、人ば眺めに来たのんねぞぉ」
「こだい一杯人が乗って、五大堂が崩れでしまわねべね」
五大堂に立つ前に、心配が先に立つ。

「あの建物がなんだが分がて撮ってるんだが?納経堂ていうんだじぇ」
心の中でつぶやきながら、気に掛かっているのはスマホを持つ小指の立ち具合。

虫食いの葉っぱが目の前に垂れ下がる。
夏はそろそろ終わりだと示唆するように。

屋根の向こうの連山は雲に霞んでいる。
もしかして宮城県から山を越えて、やませが山形県へ侵入しようとしているのだろうか?

観光地にありがちなタオルがぶら下がる。
どれもダサダサのデザインだが、高揚感に体を支配され、正気を失っている観光客たちには買う人もいるのだろう。

郵便配達のおじさんは、毎日千段の階段を一歩一歩登る。
頭を下げずに何を下げる?

「なんだが太ていねが?」
「このところの雨続きで、体が湿気って膨らんでしまたのっだなぁ」
おみくじは重そうな体を連ならせてぶら下がる。

「あと何段?」
「ふぅ、もうちょっとだがらな」
親子の会話が聞こえてきそうな仁王門の日陰。

「こごは縁切り寺ったんねがよ」
「何ゆてんのや。悪縁切りの寺なんだじぇ」
そう言っているかどうかは定かではないが、とにかく疲れ果てて足を伸ばしている事だけは定かだ。

つたない字。それを味わいという人もいる。
ところで、近年では外国人対応でToiletと英語表記も増えている。
それより「厠」て読める日本人がどれだけ居るかのほうが問題だと思うけれど。

せみ塚ではタオルがお出迎え。
誰かが汗を拭いて残していったのか、単に山寺の方が干しているのかは分からない。
ただ言えるのは、観光客の目の前に、これ見よがしに干してあるのはどうなの?

観光客の荒い息と、湿気を含んだ石段を踏む足音だけが木立の中に充満している。
誰もバッタが手摺りで様子をうかがっているなんて気づこうともしないし、その余裕も無い。

「なんだがしゃねげんと、この雰囲気好ぎだぁ」
勘亭流の文字に被さる真夏の植物たち。

「お疲れさん」「まだ半分しか登ってねーぞ」「歩ける幸せを満喫してね」
小さな水子たちは、小さな声で声を掛けているようだ。

ところ天・あま酒・力こんにゃく・はえ叩き。

「こんにゃくのくしだけ」は「こんにゃくの串だ、食え」とも読める。

達筆なのか、粗製濫造の適当な筆字なのか判断がつかない。
判断の出来ないところに芸術がある。

このアイデアはおもしろい。
日本のどこから山寺へ来たのかピンで教えてくださいだって。
全国から来てるようだけど、圧倒的に関東が多いねぇ。

こちらは世界のどこから山寺へ来たのバージョン。
誰かがいたずらでピンを刺したことを考慮に入れながら、
それでも山寺の知名度に舌を巻く。
だって、フィンランドやイスラエル・ギリシャ・トルコなんて国々からも来てるんだよ。

観光客の歩くルートは決まっている。
その賑わうルートをそーっと建物の陰から見つめる草花たち。

「運気が上がるんだじぇ。なして買わねの?」
黄金色に輝きながら、おみくじは人の目を引こうと躍起になる。

どこへ行ってもスマホ。
編み笠をかぶってもスマホ。
ご神木の前でもスマホ。
自販機に睨まれながらもスマホ。

慣れない拝礼をする若い女性たち。
ここは山寺なのに何故神社?との疑問もない。
すぐ脇には食欲・物欲をそそる看板があちゃこちゃ並ぶ。

水子の歓迎を受けながら?山門へ向かう人々。
水子は整然と並んで毎日なにを思う?

「三人並んでんのに、なして俺なんだず?」
「おまえの頭が留まりやすいんだべ」
「んだんだ。安息の頭頂だぁ」
喜んでいいのか疑問に感じながらも、右端の水子は微笑みを絶やさない。
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