◆[山形市]霞城公園 夕暮れの時計回り(2015平成27年11月21日撮影)

南門をスタート地点として、時計回りに霞城公園を一周してみようと思い立つ。

早速、南門の石垣に登ろうとしたら工事中。
石垣は永年の雨風で弱っているのかもしれない。

「なんだこいず?」
案内板を見ると「坤櫓(ひつじさるやぐら)」とある。
霞城公園は少しずつ少しずつ昔を復元する工事が進んでいるんだな。

霞城公園大手門付近の堀は、人が歩きやすいように何年か前に舗装された。
しかしそれは観光客用だと思っていた。
霞城公園の西側の土手もいつの間にか舗装され、歩きやすさは格段に向上した。
整備は悪くない。しかし、狸が棲んでいたころの霞城公園とはあきらかに違ってきた。

「撮んのば待ってでけっだっけのがっす。通ってけろっす。そのほうが絵になるっす」
ああでもない、こうでもないと落ち葉にカメラを向けている間、
ずーっとカメラの枠に入らないよう、お二人は待っていてくれた。

霞城公園は山形市民の憩いの場であり、スポーツに親しむ場でもあった。
本丸の整備とともに園内は地元密着から県外観光客用へとシフトしている。
山形市民だけのものではなくなるのが寂しいような、嬉しいような。

「〇〇からはいってはいけません!」
「その〇〇が消えで読まんねんだず」
二股の大木は、人間のするごどは分がらねと気に懸ける風でもない。

西門からすぐのこの場所は、ソフトボールのメッカ。
いつ行っても必ず誰かが試合か練習をしている。
霞城公園内から今、あらゆるスポーツ施設が撤退している。
この広場もいずれは消えるのだろうか。

「なんぼ集めだて無理だぁ」
「んだずねぇ。砂漠の砂ば手のひらですくうみだいなもんだま」

「あべはぁ、くたびっだもはぁ」
「んだずぁ、日も暮れるしはぁ」

南沼原と六小の試合結果をみて、母校の勝利にほくそ笑んでいると、
突然大木の隙間から日が差してきた。
落ち葉は黄色い歓声で光を迎え浮き立つ。
あまりのまぶしさに、それでなくても細い目をもっと細めてしまう。

周りの黄色い銀杏の葉っぱの歓声など耳にも届かず、選手たちは必死にバットを振りまくる。

あちこちが黄色い絨毯になった季節。
雪の降る前に土の感触を忘れまいと、選手たちの足がしっかりと地に着いている。

スズカケノキに光が真横から当たってくる。
それを受けとめながら34メートルもある樹高が、今年最後の輝きを放つ。

山形人は本当にお堀巡りが大好き。
しかもすれ違いざまに「こんにちは」と声を掛け合う。
登山ですれ違いざまに挨拶を交わすのは当たり前だが、
ここ霞城公園は街のど真ん中。そこで挨拶が交わされるのだから、霞城公園は山形市民にとって特別の地なんだろう。

樹皮に迫ったら、その生命の力強さに圧倒された。
人間が、いや自分がやけに小さく感じられた。

夕暮れの音がサヤサヤと囁きながら近づいてくる。
そこここに小さな闇が育ちつつある園内。

「今日も終わりだずねぇ」
「んだぁ、今年も終わりだはぁ」
今日一日の仕事を終えた安堵感と、今年もあとわずかという寂寥感が、
銀杏の落ち葉とともに二人を包み込む。

「ありゃりゃ、まだ地面が発光しったどれ」
晩秋の光は時折名残惜しげに雲間から顔を出す。

紅葉も銀杏もまったく音を立てない。
それでも強く何かを語りかけてくるようで、しばらく佇んで聞き入ってしまった。

犬の散歩の人々も、そろそろ引き上げる時間。
残された紅葉はやがて夜のしじまに塗りつぶされる。

「ほっだな周り中赤くてよぅ、オレなのさっぱり目立だねのっだず」
消火栓は目立ってなんぼの世界で生きている。

北門付近から市営グランドを眺めようとしたら、
真っ赤なツブツブが通せんぼするようにしゃしゃり出てきた。

「この市営球場ばも撮っておがんなねべな。いずれ解体されるんだべがらよ」
落合で新球場の工事が始まった。
その土音はこの老いぼれ市営球場にはどんな風に聞こえるのだろう。

落ち葉を集めて遊んでいるのか、とりとめもなく子供たちがなにやらごにょごにょやっている。

やがて残された女の子は、一人の世界で夢を羽ばたかせ始める。
一人はけっして寂しいものじゃない。自分の世界を誰にも邪魔されず自由に操ることができるから。

毛細血管のような枝だけが周りを覆う市営球場。
かつてどれだけ多くの県民の野球を見守って来たことか。

目の高さよりちょっと高いところから光が差し込んでくる。
今から舞い降りようという葉っぱが透けて輝く。
その隙間の向こうでは球場のバックネットが、暇を持て余している。

「こだなだげ写さっでもどごだが分がらねぇ」
「んだら次の写真ば見でけろ」

「こんでも分がんねごんたら山形人んねもな」
タンポポは残り少ない光を、もったいなさそうに吸い込んでいる。

東大手門の真上に月が出た。
見上げながら寒気に体がぶるっと震えた。

花見の頃のあの華やかさはどこへ消えた?
シンと静まりかえる園内に最上義光はいつまでも立ち続ける。
うそうそ。ホントは雪吊りの職人さんたちが大勢で作業をやってるんです。写ってないだけで。

夏の間は銀杏なのどごさあるんだというくらい目立たない。
しかし11月の声を聞いた途端に真っ黄っ黄に自己主張してくる銀杏。
11月は霜月じゃなく銀杏月といいたくなる。

「人ば食だくてしょうがない?」
そんな人を食った表情を見せ、博物館の前で夕陽を浴びる。

「たまげでフラッシュ焚いでしまたどれはぁ」
彼岸桜が次々と咲き出している晩秋。

「バガになてしまたんだべ」
「何考えでんだべねぇ」
人々はいろんな事を勝手に言いながら珍しげに写真を撮っていく。

いよいよ日が沈む。
今日最後の灯りを浴びながら、今日も落ちる事が出来なかったと勇気のなさを嘆く葉っぱたち。

済生館の側面に夕陽が最後の力で張りつき、
張りついた光は少しずつ剥がれるように弱まってゆく。

かろうじて園内に残ることが出来た県営体育館。
あの売店で食べたことを思い出すのは私一人だけではないだろう。
今は非常口の灯りが床を照らすだけの夕暮れ時。

霞城公園を時計回りに歩いてみて小さな脳みそを働かせて考えた。
園内は昔を復元させるために反時計回りの動きをしている。
人口減少に歯止めが掛からないため、代替え案として観光地化して人を呼び込むという施策を進める動きは止まりそうにない。
山形市民から、少しずつ霞城公園が離れていくような気がしてならない。
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