◆[上山市]久保手 山形市へ食い込む村(2015平成27年11月13日撮影)

「足下、気ぃつけでけらっしゃいねぇ」
自分の生活基盤が揺らいでいるというのに、雪吊りおじさんの足下を心配する。

「一時停止のくせに電信柱さ隠っでわがんねっだなぁ」
「顔が白っぱげだがら隠れっだのっだなぁ」

気持ちよすぎて体も軽くなる。足取りも軽くなる。

くちばしを空へ向けて何を欲しがっている?

上山市久保手といっても山形市民にはピンとこない。
まして、かやぶき屋根が秋の日をたっぷり含んでいるような田舎。
ところがどっこい、ここから歩いても数分で山形市のみはらしの丘。

太陽はちょっとした隙間も見逃さない。
板ぱんこの間から抜け出た光が、板壁に幾筋も斜めに筋を刻んでいる。

「重っもだそうだずねぇ」
「おだぐみだいに無駄に太ていねがら」
柿は体脂肪100パーセントみたいな体を持て余しながら、カメラ親爺に反駁する。

風が起きると山肌が波打ち、尋常ではない大きさのカーテンが揺らいでいるようだ。

久保手は丘の上にある村。
農業をするためには水源がないので造った池なのかも知れない。
赤や黄色から茶色に変わりつつある森が水面に映り込む。

さざ波に落ち、風に流される瞬間が近いことを、残った葉っぱたちは静かに理解する。

木漏れ日の続く小径を歩く歩く。
踏みつけられた葉っぱが、乾いた音で追いかけてくる。

あの鳥居と山肌の色彩は、どう見ても誘っている。
魅入られたように足を向け、落ち葉の積もった石段を登る。

風が吹けばぎこちなく動き出す。
その動きは自動知恵の輪。
「こごらげでしまわねべね」

あの鳥居をくぐって良かった。
雪を待つ山形の大パノラマが広がっている。
左端に千歳山、真ん中は竜山、右端に蔵王の山並みが見える。

山形市から浸食してきたみはらしの丘の真新しい住宅は、久保手の集落にくっつくほど近い。

せっかく膨らんだ実は、雪近しと判断し、すぼみ始めた?

パノラマを堪能し麓に降りる。
小さな池の水面は微動だにしない。
晩秋の光も水面へペタッと張りつき動かない。

「同じ木だが?それとも別の何かが巻き付いっだんだが?」
頭がこごらげで分からない。

山形では当たり前の普段の光景が、都会ではまったく当たり前じゃない。

「日焼けして皮むげっだどりゃぁ」
そもそも何の注意喚起をしたかったのかも、もはや分からない標識。

「こだいでっかぐ実てぇ」
この大きさで落ちたら、車などひとたまりもない?

火の見櫓の影が日増しに長くなる。冬近し。

かろうじて防火水槽と読めた。
「看板って過酷な仕事だなぁ。顔さオロナインば塗ってけっだぐなる」

「おまえだが水没してどうすんのや」
防火水槽の蓋の役割の網目が力を抜いて居眠りか。

「ほだいごしゃがねでぇ」
「別にごしゃいではいねげんと・・・」
ザクロの割れ方はどうみても怒っている。

「なして冷蔵庫が日向ぼっこしてんのや?」
それほどまでに小春日和は気持ちいい。

竜山や蔵王に見守られながら、ミツバチはいつまでも花びらに群がっている。

旨みを増すために、大根は太陽へ当たることに余念がない。

「洗濯ばさみはなんぼ太陽さ当だても旨みは出でこねべ」
「おらだはポロポロになるまで太陽さ当だっだいのよ」
口をキッと結んで洗濯ばさみは余計な口をきかない。

「山火事んねべ?」
柿たちは真っ赤な自分の姿を忘れて山に見入っている。

「背中が温かくて気持いい〜」
パジャマは人間の温もりよりも気持ちの良いものがあることを知ってしまった。

空に膨らんだたんこぶみたいな朝顔の下、地元のおばちゃんとの会話が弾んだ。
「こごは上山市だげんとも山形市のみはらしの丘の小学校の方が近いのよ」
「買い物なの南ジャスコさ車で10分だし、コストコも出来だしなぇ」
地図を見ると分かるが、行政的には上山市。でも山形市といってもおかしくはない位置にある。

これが本沢と上山を結ぶ旧街道の名残なのだろう。
水戸黄門の全国行脚のロケに使えそうな光景が広がっている。

なんの実だが花だがしゃねげんと、秋の日を体中に含んでぷっくり膨れている。

これまたパッと手のひらを広げるように小春日和を体中で受け止めている。
自然界は人間が忙しくしてる間にも季節をしっかり受け止めている。

ペットボトルのなれの果て?
「ゴメンゴメン。ペットボトルはほんてん最後の最後まで役立つなぁ」
黄色い羽根は柔らかい久保手の大気を気持ちよく受け止めている。
そういえばさっきおばちゃんが言っていた。
「上山市は干し柿で有名だげんともよ、久保手ではあんまり干し柿は作らねのよ」
久保手は蔵王おろしが吹かない温暖な気候のため干し柿作りには向かないそうな。
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