◆[山形市]もみじ公園・山大・専称寺 赤と黄色で腹一杯(2015平成27年11月1日撮影)

「こいにして、しっかり鎖ば持って登るんだがらな」
五小が母校だというお母さんが子供たちに見本を見せる。

子供を谷底へ突き落としたライオンのような厳しさはまったくない。
お母さんは秋空に浮かびながら微笑んで見守っている。

「こちょびたいげんとも気持ちいい」
枯れ草に寝っ転がり、母親に構ってもらううれしさが先に立つ。

五小の南側は間もなく道路が広くなる。
工事現場の様相だが、子供たちには遊び場でしかない。

「太陽がパッと開いたぁ!」
子供はお母さんの温もりを感じつつ、手のひらを開いて秋の日差しを受け止める。

山大の並木がクッキリと見えてきた。
この辺りだけは山形でも若者の棲息率が異常に高い。

綺麗に並んだ自転車の銀輪、いや銀杏の並木。

太陽がサーッと顔を出した。
銀杏はここぞとばかりに真っ黄色に発光する。

強い日差しは自転車たちの影を地面にクッキリと貼り付ける。

自転車のハンドルやスポークの一本一本にも銀杏の黄色が筋を作っている。

「あれ?オーヌマホテルはどさ行ったぁ?」
あったはずの位置には、真新しい建物が空間を占めていた。

住所の看板がいかにクネクネしているかが、その影の具合で分かる。

堺内科さんの柿が色づいていた。
空のまぶしさの中へ向かうように。

「堂々と受け止めでみっべ」
蔵はどっしりと構え、秋の日差しよドンと来いと言っているようだ。

何度足を運んだか忘れるほど来ている山形の象徴「専称寺」。
始めて訪れたのは小学校4年生の社会科見学だから、今から50年近く前かよ!
あまりの昔に、自分でもびっくらこいた。

赤い落ち葉模様に光の斑模様を敷き詰めて来訪者を迎える境内。

「同じ山形でもこだい違うんだがい?」
山大の銀杏はまっ黄っ黄だっけのに、専称寺の大銀杏はまっ青で黄色みの欠片も見当たらない。

水面の中も赤と黄色。いまや大銀杏以外はすべて色づいている。
大銀杏が色づくのを頑なに拒んでいるのは、主役は最後にと考えているからか。

真っ白い障子がまぶしい。
風に揺れるススキは格子窓の埃取り?

例年のことながらマイ定番の位置からパチリ。
今年はちょっと早く来すぎたようだ。

苦悶に絶えながら何百年?
心の片隅をつねられるような気持が残る。

目の前にスイーッと現れてさやさや揺れる、筋だけが血管のように赤らんだ紅葉。

「あわわわわぁ、赤い絵の具がなんぼあっても足んねぇ」
「んだら彩画堂から買ってこらんなねっだな」
絵を描く人はきっとこんな言葉で嘆いたことだろう。

街中に赤色が溢れていることに違いはない。
ただ、紅葉と違い誰も目もくれないのは寂しい。

山形大学OB感涙の定番光景が、秋の日に輝いている。

どんな狭こい路地にも入り込んで、万物を照らしてくれるありがたい秋の日差し。

「ハロウィーンは終わたじゃあ」
何してんだがと思ったら、蜘蛛の巣につかまってしまった落ち葉だった。
五小卒業の悪ガキたちなら知っているだろう。左側は五小のフェンス。

自分の母校六小には及ばないが、ここからの千歳山と五小の並ぶ光景もなかなかだと思う。

数年前の春、桜の花びらの中を通学する小さな子供たちを見たっけなぁ。
校舎が東側に移動する前は、こっちの西側が正門だっただと思うんだけどよく分からない。

「なんだず突然。オレは紅葉ば見っだいんであって、オマエの笑顔なの見に来たのんね」
五小南側の通りは工事中なので、こんな笑顔がずらっと並んでいる。

「もみじ公園解除中だど?」
「解除ていうごどは、普段はぎっつぐ施錠でもしてんのが?」

偏屈な私はいつも街を変な角度から撮っている。
今回ばかりは当たり前の角度から撮っておこうという気にさせるもみじ公園。

光が溢れる中、次から次へと人々が訪れる。
駐車場が狭いだけにトラブルでいがみ合う人を見掛ける事もあった。
そんな刺々しい気持は、もみじ公園の彩りを見て鎮めて欲しい。

光の差したときと曇ったときでは、別人格になったように表情が変わるもみじ公園。

昔はもみじ公園といえば、五小の悪ガキたちの遊び場でしかなかったんだけどね。
今はゆったりと鯉が泳ぐ山形の由緒正しい公園となってしまった。

子供と手を繋いで日本庭園をゆっくり歩いてみる事は、
勉強やしつけよりよっぽどいいかも。

どれだけ丹念に手入れしているのか、山形市民として紅葉の時ぐらい見ておかないといけないな。

溢れる光が色づいてこぼれ落ちる。
一年のうちの一瞬だからこそ、なおさら愛おしい。

「これは撮っておがんなねべ」
「どだごど写たや?」
「それなり」
こんな極上のそれなりが山形には存在する。
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