◆[山形市]小白川町 堰銀座に花が咲く(2015平成27年5月22日撮影)

なんというスカッとな空。
強風が山形の塵と煩悩を振り払ってしまったようだ。

朝日連峰まで丸見え。
ちなみに空がスカッとしていても、市街地の低地からは見えないが、
ビルの屋上あたりからだと見えるだろう。

「な〜に、私だがモデルでいいのぉ?」
「んだっす。奥羽の山並みにぴったりだっす」
突然のカメラ親爺ちん入にも、笑顔で対応するおばさんたち。

空気が澄んで乾いているせいか喉がひりひりするし、
太陽も不純物を含まない光線を投げて寄越すから肌もひりひり。

ダンプとシロツメクサ。
「野獣と白雪姫みだいだな」

「ここは御殿堰です」のすぐ脇に「ここは八ヶ郷堰です」の看板。
そしてすぐそばを流れる馬見ヶ崎の河川敷では、右岸に双月堰が流れ、左岸を宮町堰が流れている。
山形市街を流れる山形五堰は、この辺りから扇状地を下ってゆく。

「伸びろ〜」といいたいところだが、
「あっちこっちさ絡みついで困るのよねぇ」
町内会の朝掃除の時は、絡みついた蔓をふりほどくのが一仕事。

「新鮮なウニが鈴なりの訳ないずねぇ」
「シュロずぁ強くて、寒いどごでも育つんだど」

天満神社にそっと入り込む。
そっと入らなければならないような別世界の空気が漂っていたから。

静まりかえった境内には、静かに木漏れ日が揺れ、おみくじたちを静かに時を過ごす。

この神社は蛙とどんな関係?
蛙はギロリと神殿の方へ視線を向けている。
もちろん部外者のカメラマンには一瞥もくれず無視される。

トタン板の隙間に時折風が入り込む。
そのたびに青紅葉は張りついた日差しをハラハラと振り払う。

いずれがアヤメかカキツバタ、歩く姿はハナショウブ。
「ほだなことわざは聞いたごどないべぇ」
背後の箒やスコップたちが笑ってる。

ルピナスたちが囃し立てるので、緊張を強いられる風車?

「ヘビイチゴていうのんねがなぁ?」
通りすがりのおばちゃんが肩越しに覗いて口を出す。
ちなみに似た種類にヤブヘビイチゴというのもあるらしい。
よっぽど余計なことをして事を荒だてるイチゴなのだろう。

「こいずはノコギリソウっだな」
おばちゃんは得意げに鼻を鳴らす。
確かに葉っぱがノコギリだ。
でも、可憐な花なのにノコギリソウとは可哀相。

「この辺からだど朝日連峰も見えるっだず」
小白川は馬見ヶ崎扇状地の上流部。
標高も山形駅前辺りより50メートルは高いので見えるのだろう。
※山形市断面図参照
http://yamu.deko8.jp/map-danmen/map-danmen.htm

馬見ヶ崎の上流から、笹谷街道をゆったりと下ってきた山交バス。
旧街道は道が狭いので、後ろの車は我慢我慢。

生気を吸い込まれそうな深紅のバラがたわわに実った。
「花が咲いだのに実ったはおがすいべぇ」
「んだて、みな重だそうにしてぶら下がてじぇ」

「ヤマサワてどごだっけぇ?」
「ヤマザワんねくてヤマサワ?」
「んだて看板さヤマサワて書がったどれ」
「ザの点々が消えだどぎにヤマザワ小白川店も消えだのっだなぁ」

郵便ポストを覗いていたら、へんなおじさんと思ったらしい青年が近づいてきた。
この辺にいる若者は大抵山大生だと思って聞いたら案の定。
ポストが縁で撮影後フェイスブックの友達になったのは収穫だった。

山形には昔から変わらない光景があちこちにある。
その中でもこの山大通りは別格。
都市計画からも外れているのか、昭和からほとんど街並みが変わらない。

山大通りは街並みが変わらないといった、その舌の根も乾かないうちにいうのもなんだが、
山大の北側にある空き地に新たな建物が出現していた。
なんの施設かは知らないが、とにかく何十年か前にオーヌマホテルで結婚式を挙げた自分としてはちょっと寂しい。

力強く、そしてしつこく言わせてもらう。
これぞ山形五堰の原風景なんだと。
もっといわせてもらえば、七日町周辺で整備されている堰は見てくれだけの偽物。
(具体名を挙げると山形に住みづらくなるので書かないが)
ああ息が切れた。

これから御殿堰を遡上するように歩いてみる。
この黄色いアポロのシャッターが目印のスタート地点だ。

道路を横切りながら北高方面を見る。
あのクランクにある店名はすっかり見慣れた光景だなぁ。

雲行きが怪しい。いや、雲行きがおかしい。
へんてこな形の雲がフロントガラスにへばりつく。
そして、この車の所有者がおじさんだったら面白いのになと、刹那頭をかすめる。

旧一中沿いの御殿堰も随分整備された。
何しろ洒落た石段なんかも造られ、水辺に近づくこともできるしな。

旧一中沿いの御殿堰を褒めるのは上の写真まで。
だって、あの旧一中跡地の敷地にある車の列はなんだ!
「みだぐないったら!」
「バカの一つ覚えみたいに、いろんな官公庁の施設を造って!職員は暇なときに堰沿いの雑草むしりでもすろ!」
どうして今日は怒りっぽくなってしまったのだろう。

「おだまり!」
怒りながら撮影なんかしてるものだから、オダマキにうるさいと叱られてしまった。

怒りついでに写真に対する持論を書いてみたい。
こういった背景をぼかす撮り方がアマチュアカメラマンの間で流行っているらしい。
もっと良いレンズを使えばもっと綺麗に背景をぼかした写真を撮れる。
それはそれで美しいのだが、そんな背景ぼけ写真信奉者はカメラ雑誌やカメラメーカーに踊らされているだけなんだ。
俺はぼかすのも嫌だが、ぼけるのも嫌だ。
自分が本当に撮りたいものを、自力で捜すのが写真の楽しみだべ?

旧一中校舎で学んだ人々よ泣きながらご覧あれ。
これでいいのかとホントに問いたくなる無残な光景。
これじゃまるでバリケード。公務員はこういう所に配慮がないんだよねぇ。

狭い軒下にうずくまる冬の名残。
太陽は遠慮を知らず、強烈に割って入り込む。

これを見てありきたりな写真と思うあなたは凡人、才能無し。
なんと道路の右側は御殿堰、左側は八ヶ郷堰という堰の銀座なんですよ。

ちょっと歩き疲れ、終点のジャバへ向かう。
山形大橋の下ではゴーッと上を走る車の音と、馬見ヶ崎を吹き渡る風の音が混じって格闘してる。

結構な強風が愛宕山の木々を、そして葉っぱを翻弄し、裏返った葉っぱが山を白っぽく見せたりもしている。
足下の雑草たちもクネクネとダンスをするようにうねっている。

「吹き出物だが?」
「なんにもしゃねもなぁ、これは花が咲いっだんだべず」
と、無い知恵で想像してみたがどうなんだべ。

「うーん、リスにしてはちょっと違う気もするし・・・」
オブジェを前に悩んでいると、その脇を子供と母親が興味なさげにすり抜けていった。

「未だにシロツメクサの首飾りは健在なんだ」
なんだか嬉しくなった。だって、ここ何十年の間に子供の遊びは急激に変化した。
そんな中で、自然に親しむ遊びが潰えていなかったのだから。
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