◆[山形市]鈴川町 二つの小山と鈴川小(2015平成27年4月12日撮影)

「明日の天気はなんたべなぁ」
日中続いていた雨も止み、ようやくちょっとだけ太陽が顔を出した11日夕方。

厚く垂れ込めた雨雲と盆地の隙間へ、一時だけサーッと日差しが入り込む11日夕方。

「いやぁ、いがったぁ。今日は快晴で、なんだが心の底から浮き浮きするぅ」

「なんだて電線がうがい町だずねぇ。」
空を占めるのは迷路状の電線だらけで、店の看板すら目立とうとするのを躊躇している。

「このバス停でバスば待ってんのはちょっと落ぢ着がねべね」
バス停の表情からは、はにかんでいるのか、ただ太陽がまぶしいのかは分からない。

「自転車さ乗んのも気持ちいい季節だべぇ」
軽快に走り去る自転車へ、咲いたばかりの草花が笑顔を振りまいている。

この家屋がある限り、道に迷うことはない。
鈴川小へ行くにも目印になるし、山寺街道のどの辺にいるのかも分かる。

「あんまり暑くて曲がったのが?」
「ほだな訳ないべ。危ないがら人間が曲げだのんねがよ」
鉄は熱いうちに打て。鉄は危ないなら曲げろ。

今日の太陽は力強さを感じる。
狭い家並みの隙間にも強引に影が入り込んでくるし。

「わにねったていいべず」
「恥ずかしいべず、あだい黄色い顔して誘ってくるんだじぇ」
一輪車は自分の姿を恥じるようにして、黄色い誘いの方を向こうともしない。

古峰神社の小山は、水仙が覆い尽くす山でもあった。

春の土音が軽快に聞こえてくる。
町中がにわかに忙しそうに見えてくる。

踊り子たちが乱舞する。春になった喜びを全身で表すヒメオドリコソウ。

「名前わがんねくてゴメン」
でも、あまりにも愛らしい顔立ちなので撮らせてもらった。

これから冬だぁ、という下降気味の雰囲気とは対照的に、
これから春だぁ、という上昇志向の光景が広がっている。

「ちぇっと喉ばアーンしてみろ。うわぁ、喉チンコまでハッキリ見えっどら」
小高い丘で、全身に光をまとううれしさが伝わってくる。

木にくくられた紙垂がようやく乾いて、春風にカサカサとなびいている。

「木蓮も近くで見っど愛らしいずねぇ。赤ちゃんが重たい頭ば上げで、ちっちゃな手ば盛んに動がしったみだいだどれ」

天高くズック乾く春。

なにやら賑やかな声が聞こえてくる。
選挙だがら?いや、子供たちのサッカーの試合が行われているらしい鈴川小学校。

「ほんてん間もなぐだねぇ」
「んでも近ぐの二口橋んどごなの咲いっだっけじぁ」
二口橋付近の桜は毎年フライング。こっちの桜が正常なんだべな。

ケッツに擦られて何十年。
鈴川小の子供たちに磨かれてタイヤはくすぐったそう。

親たちは壁の染み、じゃない。鉄棒に寄りかかって子供たちの成長に目を細めている。

黒光りするタイヤの表面。
なんぼ雨に打たれても、子供たちが尻で磨いてくれるから。

僕らはみんな生きている。
だから、空に上げた手のひらが太陽に透かされて輝いている。

「こだい頑張て伸びてんのに電信柱に敵わねぇ」
やがて緑になる葉っぱは、とりあえずまだ赤い。

水仙に誘われるままに階段へ一歩を踏み出す。
浦宿町というのは旧町名なのか、看板の掛かる建物がちらりと見える。

石垣の上から水仙がこっちだよーと招いている。
足取りも軽くなるわけだ。

春の彩りは写真ではとても表しきれない。
第一、写真には心の喜びまで写らないしなぁ。

虚空蔵尊の小山から鈴川小のグランドが見える。
子供たちは盛んにサッカーに興じている。
春の温もりが鈴川じゅうを包み込んでいる。

申し訳ないとは思ったが、そーっと虚空蔵尊の床下をのぞいて見た。
夏の名残だろうか、ぼんぼりが密かに息を詰めている。落石はいびきをかいて仰向けだ。

鈴川には先ほどの古峰神社と、この虚空蔵尊の二つの瘤がある。
山形の他の地にはない趣を、是非とも堪能したい。
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