◆[山形市]スーパーカーミーティング2014 in YAMAGATA(2014平成26年10月12日撮影)

台風が近いというのに、なんだこの快晴は。
竜山も蔵王も青い空に溶け込みそうだ。

奥羽本線の遮断機にも、蔵の壁面にも、佐川急便のトラックにも、秋の日は満遍なく降り注ぐ。

「あべ〜、早ぐあべ〜。凄いスピードの車ばりだがら、あっという間にいねぐなるはぁ」
不動橋の上を秋の風が渡り、子供たちの声が千切れとんでいく。

「車どさいだの?人ゴミの中?」
「やっぱり人はゴミなんだ」
芝生の丘を降りながら、ゴミの中へ入り込んでいく。

けっして鳥取砂丘に芝を貼ったわけではありません。

若者が車離れをしているといわれている。確かに客層はおじさんが多いような気がする。

「あの中さ入っていぐの?芋煮鍋さ入るくらい勇気いっべ」
「オらぁこごから眺めでるはぁ」

そこに岩があれば登りたくなるのは子供の本能。
キラキラの日差しを浴びながら、車眺めに飽きた子供たちが岩登りに興じる。

正直言って、スーパーカーのなんたるかはまったく分からない。
ファンには怒られそうだが、馬力がどうの、フォルムがどうのといわれても、うーんと唸ってしまうだけ。

私の持論は「日本での制限速度が100キロなのだから、緊急車両以外は100キロ以上速度の出る車は造るな」だ。
そんな自分が200キロ超の速度を誇る車を見ているのだから、頭が混乱する。

丘の上に立っているのはモニュメントじゃない。
みんな人混みの中へ行くのを逡巡して立ちすくんでいる。

スーパーカーの魅力を知らない自分にも、作り手の情熱だけは真っ赤になって伝わってくる。

こういうドアの開け方だと、隣の車にドアをぶつけなくていいかもな。
でも、ドアの物入れに置いた、蓋の開いたペットボトルは悲惨だな。

本当に台風が来るんだろうかという青空。
人々は太陽にジリジリと照らされ真っ黒だ。いや、単に逆光になってるだけです。

「必ずモデルの周りさ群がるんだがらぁ」
「そういうおだぐはどうなんだ」
「親爺だものしょうがないべした」

ピカピカに磨いた高級車だから、枠の中に入って触れてはいけない。
もちろん地面に伸びる影でさえも、車には触れることが出来ない。

「はい、絶対に触れないでくださいねぇ」
「車さが?モデルさが?」
「どっちも」
白い鎖は欲望を遮断するように伸びている。

みはらしの丘がこんなにごった返すことも珍しい。
10月なのに「氷」の文字が活き活きしてるのも珍しい。

「写真撮らせでけろっす」
「こっちはネギばっかりだがら、こっちの肉いっぱい入った方も蓋ば開げでが」
お姉さんたちは撮りやすいように、いろいろ配慮し笑顔を向けてくれた。

「なして食ねの?」
「んだて、変なおんちゃんがじっと見でるんだもの」
「んだよねぇ。目の前でカメラば構えらっだらやんだよねぇ」

山形ではイベントに行けば大抵誰が知っている人に出会うもの。
山形のその狭さがまたいいんだよねぇ。
いづのこめが、子供が二人もいるんだがらたまげだ。たまげだ。

この好天なのに、雨が降るとまずいので、車は全部ビニールシートに覆われる。
いやいや、直接触れられると指紋が付くので包んでるんです。

「たまたま撮れだげんと、こだなシチュエーションもいいど思わね?」
黒い車体の脇を、綺麗な女性の足が過ぎてゆく。

「こだな暑いどぎ、ほだな被てマスクなのしったら汗ダラダラだべぇ」
人形の青い瞳は、我関せずと虚空を見つめるだけ。

ある程度車を眺めて気づいたことがある。
このエンブレムにしてもフォルムにしても、特定の人間の欲望が集約してできあがった塊なんだと。
だから琴線に触れる者は羨望のまなざしで見つめるし、そうでない者にとっては単なる車でしかない。

心血を注いで造り上げられた車たちは、ある意味芸術にもなり得る。
私はまだまだその美を理解する高見へたどり着いていない。

ヌメッとした表皮に光が宿って煌めく車体。
往来を行き来する人々へ誇らしげにその全身をさらす。

「低っぐいぃ、まるで赤いゴキブリが這ってるみだいだどれ」
「ほだごどゆたらオーナーからごしゃがれっからな」
試走する車のエンジン音が路面に反射して、青空に広がっていく。

「どれ、そろそろ帰っべはぁ」
竜山も蔵王も穏やかな表情でイベントを見守っている。

「お、オマエも中々いいフォルムだな」
「なにゆてるんだず。卵ばどごさ産むが考えで大変なんだがら」
カマキリは冬に備えて、イベントどころじゃないようだ。

触覚は青空へ向かってピンと伸び、日差しは体を透き通らせる。
盛んに鎌を動かしているのは、台風が近いことを察知しているからか?
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