◆[山形市]東沢 春に落ちる(2014平成26年4月2日撮影) |
4月1日の夕方。 「明日も晴れるぞ。撮影だぁ」 窓から、まぶしい夕日と電線のきらめきを見て小躍りする。 ※撮影当日の大失態は、この段階で分かるはずも無い。 |
「こだい天気いいど、じっとしてらんねもな」 まだ、去年の枯れ草が残る中でも、人々はじっとしていられない。 |
山肌はまだ茶色いが、木の枝はまるで大鍋から立ち上る湯気のようじゃないか。 |
「天気良いくて暖かいげんと、雪解け水は冷たいべなぁ」 蔵王ダムから流れ出た水流の音が、ドゥドゥと絶え間なく河川敷に木霊する。 |
「ちっちゃいのによぐ上まで登ったなぁ。えらいごど」 すれ違いざまに、こんにちはと挨拶されたものだから、挨拶の後に小声で子供を褒めてみる。 |
乾いた風は乾いた枯れ葉をざわめかせながら、さっさと階段を上ってゆく。 |
固く結ばれたおみくじへ、時折風がヒュッとちょっかいを出す。 まるでおみくじの中身を盗み見るように。 |
よっくど近づいて、じっとタネ?をながめながら思う。 何年も街並みを歩いてきて、樹木や草花の名前すら知らない。 知っていたらもっと世界が広がるのに。 |
すぐ近くを高速道路が走る。おそらくハイブリッド車も走っているだろう。 その空間とこの空間は、隣り合わせなのに時間の流れはまるで違うようだ。 |
春の小川はサラサラいくよ♪ まさにそんな光景が、山形のあちこちで繰り広げられている。 |
「埋没して何年や?」 「埋没なのしてね。ただ物置代わりになてるだげだ」 たくさんのタイヤを引き連れ、錆だらけの車は老いを認めようとしない。 |
「笹谷から下てくっどぎ、こごまで来っど街さ帰てきたぁて感じすんもな」 「はぁ?今時、笹谷ば通ったら蔵王インターで降りっべ」 「オレは昭和の頃の話ばしったんだず」 |
コブシの芽はまだ拳。 開かない状態なのに、どこに太陽があるかは分かっているようだ。 |
「雪とギッコンバッタンか?」 「んね、てこの原理で雪ばどがすがど思てんだげんと・・・」 塊と化した雪は、てこでも動きそうに無い。 |
「どれ、オレが乗ってみっかな。やっぱりやめだ。雪が睨んでだもの」 自然に任せれば、雪も諦めて消え去るだろう。 |
子供たちの髪の毛が風になびく。 ああ、春だなぁ。東沢小が近代的すぎて、ちょっと絵にならないけれど。 |
「何回もいうげんと、こだん時、川さ入ったら冷たいべなぁ」 ※まだこの段階では、数十分後の自分の失態を知るべくもない。 |
「橋の下さなの咲いで、悲しぐないが?」 「どこで咲いでも、咲くに変わりはないべ」 福寿草に教えられ、福寿草が見ている太陽の方向へ首を捻って同じ気分に浸ってみる。 |
この防原という地名には、なんだか郷愁を感じる。 これは地元の人では分からない。 子供の頃、山形市内の街っ子たちにとって、防原といえば川遊びの本場だったんだ。 |
昼日中、おばちゃんがのんびりと通りを横切る。 車も滅多に通らず、アスファルトは乾燥肌をさらすだけ。 |
宝沢行きの山交バスが喘ぐように通り過ぎる。 その先の奥羽の山並みは未だ冬。 |
地面から湧き上がる春を慈しむように、おばちゃんが黙々と地面を撫でる。 木の枝からはドクンドクンと勢いよく流れる生の息吹が感じられるようだ。 |
石碑の肌を、樹木の影が力強く撫でている。 いよいよ太陽が本格的に春を運んできたと実感する。 |
ペットボトルは畑の上で、カラカラ、カラカラ空回り。 |
「昔の建物さ爪ば立でっどぎて、胸が痛まねが?」 「ほだごど考えっだら仕事にならね」 街はこうやって移り変わりながら生きていくしかない。 |
この石垣の下り坂を下りれば、大通り。 そして木の橋を渡れば唐松観音へ行けるはず。 |
さっきおばちゃんが言っていた。橋は壊れて渡れないよと。 でも唐松観音は目の前。ここを通らないと、ものすごい迂回路を通ることになる。 私は壊れた橋に踏み出した。 それから先のことはあまり話したくない。 結果、私は季節外れの水浴びをしてしまった。携帯は水死した。カメラも水死した。 私は学んだ。急がば回れ。急いでいても回れ。 |
TOP |