◆[山形市]教育資料館・洗心庵・双月橋 季節の境目(2013平成25年9月3日撮影)

夏の日差しを浴び過ぎて、疲れた表情の北高講堂が西日を浴びている。

「いぐびゃー」
「どさ?」
「専称寺の銀杏が色づぐのもまだだし、とりあえずいも煮会が」
「とりあえずて失礼だずねぇ」
「んだら帰っびゃあ」
この界隈は高校が多いので、必然的にカップルも生まれやすい?

「こちょばしてけっかなぁ」
エノコログサは周りの空気をこちょばしては、空気たちを笑わせる。

教育資料館の正門からは西の方にまっすぐ道が延びる。
道の先には遊学館もあれば文翔館もある。所謂文教地区だな。

「オマエが縄文のヴィーナスていわっでる土器が?」
「ほだいスマートんねげんと、似でっかなぁ」
消火栓はまんざらでもなく胸を張る。

「いやぁ、青空でいがったぁ。やっぱり天気いいど綺麗に見えんもなぁ」
「天気悪れくてもいいものはいいんだず」
教育資料館は失礼な言葉に、叱りたい気持ちを抑え込んで凛と立つ。

「ありゃ、入らんねぐなたのがぁ」
講堂は老いを隠しようもなく、ロープが張られ、蔦が垂れている。

確か数年前に見たときは、床がテロテロに磨かれていた。
県はこの講堂を今後どうするつもりなのだろう。

夏が過ぎ♪蝉だらけぇ♪
秋が来ようとしている前庭には、夏から取り残された抜け殻がぶら下がる。

「オレだて頑張てるんだじぇ」
水銀灯は教育資料館を引き立たせるために、庭の隅っこで力こぶを造っている。

教育資料館へ訪れる人はポツポツとしかいない。
正門前には西日が退屈げにたむろしている。

洗心庵が公開されたので、事務の方に無理無理お願いして撮影させてもらった。
山形の真ん中にこんな立派な庭園があったなんて。

なにしろ無料だし、一度は訪れてみたい庭園だな。

雲間から差す光がまぶしい。
その空へ向けて、庭園の木々が高さを競っている。

人の目を楽しませるように、複雑に入り組んだ池やせせらぎ。
まるで大自然がこの庭に凝縮されているようだ。

俗世間とは関係ないという風情で、ツツツーとアメンボが目の前を滑る。

「なんだて上品で広い庭だごどぉ」
「手入れすんのが大変だべなぁ」
「ほだごどゆてっから、いづまでもうだつが上がらねんだべなぁ」
異空間に俗世間の会話を持ち込んで窮屈感を味わってしまう。

西日がパーッと庭に入り込む。
日向と日陰のコントラストが際立つ一瞬。

生まれたばかりのような小さなモミジは、水面の青空を怖々と覗き込む。

北高脇道の並木は伐採されたけれど、ハナトラノオが空に向かって伸びている。

「こだい立地条件のいいどごないべぇ。んだて、西側が北高のグランドだがら太陽ば遮るものないもの」
西日が当たり過ぎて夏は暑いかも知れないが。

蔓を伸ばしてみたものの、秋が来ようとしているのを察し、
どうしたものかと思案する。

犬のフンは、のあとが読めない。
なんだろうと考えている間にも校舎の上の雲は流れる。

西日には侘びしさと安堵感が混じっている。
何気ない光景も、西日を浴びれば何かを語りかけてくるようだ。

緑町はちょっと路地に入れば古い家が佇んでいる。
新興住宅街には無い空気が流れているようだ。

「今頃何しに来たぁ」
夏も終わろうという馬見ヶ崎河原。
ひまわりはザンバラ髪を垂らして好意的とはいえない迎え方をする。

誰が置いたか洋風の椅子。
この位置からの眺めが山形らしさを一番楽しめると言わんばかりに、鉄の脚を踏ん張っている。

上から目線で見下ろしてくるひまわり。
あんまり育ちすぎて、頭をまっすぐ太陽へ向けることが出来ないようだ。
重い頭を支える肩は、さそや凝っていることだろう。

バラのアーチの向こうに千歳山や竜山が見える。
山形の象徴がアーチの奥に見えるとは、なんと贅沢な花壇なんだろう。

ひまわりは自分たちの影を河川敷に伸ばしている。
その影を見て、誰が一番おがたが比べているのだろうか。

旬を過ぎたひまわりなんて誰も見向きもしない。
土手を通り過ぎる自転車は、西日を浴びながら走り去る。

日が落ちんとする河原でコスモスが揺れている。
ほんのちょっと大気が涼しくなっただけで、ひ弱なコスモスは活き活きと空へ伸び始める。

「太陽も低ぐなたし、どさ帰っべなぁ」
トンボはしばらく羽を銀色に輝かせながら思案し、フイッとどこかへ飛び去った。
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