◆[山形市]蔵王上野 空の縁にへばりつく夏(2012平成24年9月29日撮影)

蔵王の山並みにはモヤのような雲がかかっている。
それでも時折日差しがスーッと坂道を撫でてゆく。

未だに夏の勢いの日光が、雲間からカーッと照りつける。
暗く淀んでいた竹林が薄緑色に発光する。

「かぱかぱ掃がっではぁ、コラーゲンが足んねのんねがよ」
「ほっだなもの顔さぬだぐて無駄な抵抗するより、自然に年寄んのがいちばんいいのよ」
艶々したムクゲにいわれ、土塀は訥々と応える。

勢いを失いかけた植物に未だに取りすがるチョウチョ。
ムワッとする大気の中に、夏は残り少なくなってきた。

秋か夏か判然としない空の下に、
どーんと屹立する石碑は威厳に満ち、通る者を睨み付けるようだ。

季節の変わり目というのは、どうもモヤモヤする。
一時期の暑さも消え、かといって寒くて震えるほどでもない。
どうしたらいいか分からず、植物たちにも自分の体にも中途半端な感覚がまとわりつく。

蔵王上野は蔵王に行く人々から見れば、単なる通過地点に過ぎない。
でも蔵王上野にも人々の生活があり、その中にいろんな喜怒哀楽もあることだろう。
様々な緑色を眺めながらなんとなく考える。

「蘇るの字が禿げっだじゃあ、なにしたんだべ」
小さな花びらのクジャクソウたちは、
一斉にうわさ話に花を咲かせ始める。

「オマエだ仕事の邪魔すんなず」
「おらだはこごさ植えらっだがら咲いっだだげだじぇ」
「オマエだが咲ぐど、お客さんからオレが見えねぐなっどれ」
自販機は周りに咲き誇るコスモスがかなり鬱陶しい。

「カリンだべが?ん〜ん、なんだがわがらね」
植物辞典で調べればマルメロという果実みたいな気もする。
マルメロという名前はママレードの語源らしい。
村をちょっと歩いただけで、分からないことにすぐぶち当たる。

彼方、月山方面から山形盆地にかけて、ぬるい風が吹き渡る。
黄金色の稲穂はそよぎながら稲刈りを待ち、人面のような里芋の葉っぱはゆうらゆうらと首を振る。

「太陽が出たり入ったりだずねぇ」
「ん?まだ隠っだぁ」
首を振り降り、コスモスが空模様を憂える。

「この頃、虫以外のゴミみだいな物が引っかがんのよねぇ」
「ちゃんと分別して空さ飛ばしてもらわねど、蜘蛛だて困るっだなねぇ」
虫の社会でもゴミの分別は大きな問題と化しているようだ。

「こだなで耳かきさっだら、こちょびたくてしょうがないべなぁ」
「誰がオマエの耳なのかくが」
オオケダテは雑音には耳を貸さず、ただボロローンとぶら下がっている。

「なんて柔らかい色ばっかりなんだべ」
「オレがオレがて、強く自分ば主張すねのがいいずねぇ」
山口百恵の歌を口ずさみながらシャッターを切る。

「いやぁ実ったなぁ」
口をぽかんと開けながら見上げる自分を、頭上の栗が威嚇する。

「ぱっくり割っでぇ、早ぐ食てけろてゆったみだいだ」
「オマエの口さなの入っだぐない」
栗は口を尖んがらせて、はっきりと拒否の意思表示をする。

「退屈だべ?」
「ほだなごどない、向がいさ連れがいだがら」

「あたしが連れだっすぅ」
道路を挟んだ向こう側のバス停が視線を向けている。

「チョウチョだが蛾だが分がんねげんと、一応羽ば広げで止まてっからチョウチョなんだべなぁ」
「台風なの来たら何してるんだべ?」
そんな心配をよそにシータテハ蝶は、いつの間にかどこかの葉陰へ飛び去った。

「あんまり見ねでけろ〜」
「堂々と立ってだらいいべした」
「ほだごどゆたて、旬ば過ぎだ花なの誰も気にもとめねずぅ」
ひまわりは、カッと照りつける陽を思いっきり浴びていた真夏を、首を垂れながら思い出す。

「目が痛ぐなるほど目立つずねぇ」
「目さ入っでも痛ぐないのは孫だげっだなぁ」
「唐辛子のくせして冗談もいうんだなぁ」
「干さっで退屈だがらねぇ」
鍋ぶたに載せられた軒先の唐辛子は、ピリッとしないのんびり派。

バサッと地面に置かれた稲束は、へばりつく夏が台風に連れ去られるのをじっと待つ。

「喉渇いだわけでもないんだべ?」
ルドベキアは辺りをうかがい、水面へ近づこうと首を伸ばす。

「細こい道だもなぁ」
「細い道だど真ん中ば堂々と歩ぐずねぇ」
脇の草花に笑われて歩くのも悪くない。

壁が剥げ落ちても空を見上げる意思は保っている。
腐っても鯛といったら建物に失礼か。

遠く眼下には山形盆地が青く沈んでいる。
太陽が家並みを照らしたり、雲に隠れたりを繰り返す。

空に伸びる草花は、ゆく夏を惜しむように虚空をまさぐる。

「山形は真っ黄っ黄になたなぁ」
一面に黄色の絵の具をたっぷり塗った光景も、あとわずかで茶色に色褪せてゆく。
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