◆[山形市]上反田・大曽根小運動会 水と緑に覆われる盆地(2012平成24年5月19日撮影)


穏やかな大気の向こうに、若木の村がゆったりと横たわる。
 
田植えの始まった水面を、初夏の雲がスーッと流れてゆく。

「こだんどぎはバンバン飛ばすっだず」
タネはこのときとばかりにキラキラ輝きを放ちながら、風の具合を計っている。

田んぼの土手にポッポッと浮かび上がる光景がどこまでも続く。

タネを飛ばし終えたタンポポは、肩の荷を下ろしたように放心状態になって、水面をそよぐ苗を見つめている。

「なんだておっきい家ばっかりだずねぇ」
長く続く黒い板塀に沿ってゆったりと歩く。
そよ風も速度を緩めて付いてくる。

「人間は太陽で焼げで黒くなっげんと、
おらぁ、すっぱげでしまたはぁ」
帽子の愚痴は、暖められた空気に連れ去られていった。

「おんちゃんだ随分焼げっだね?」
「焼げっだのんね。錆びっだんだぁ」
タンポポに聞かれて、くたびれた体を微かに起こしたような鉄材。

「ありゃ見ろほれぇ、菜の花綺麗に咲いっだまんず」
「菜の花のおひたしも旨いもねぇ」
「おだぐだら食うごどしか頭さないの?」

「ほっだなモサラモサラてだいなしよぅ。鎌で刈んのも大変だま」
雑草という濡れ衣を着せられた草たちは、刈られるか食われるか。
そして観賞用植物たちは過保護に育てられるという運命の違い。

滅多にバスは来ないけれど、鳥の声、草木の囁き、雲の穏やかな視線に包まれて、
この季節になれば突っ立っていてもバス停は飽きることがない。

風雪に耐えてきた電柱も煙突も、この季節になれば踏ん張っていた足の力を抜いてみたいと思うはず。

空き缶は尻を空に向け、自己主張するように銀色の光を散乱させている。
ポカッと浮かんだ雲は、気にもとめずにゆったりと去って行く。

「お昼なっからママ食しぇらんなねぇ」
畑仕事を中断し、ワラビがどれくらい残っていたかを頭で計算しつつ家路を急ぐ。

村を抜けると水を張った水田が現れた。
小さいトゲのような電柱の向こうに、竜山は薄青く浮かんでいる。

耕耘機のエンジン音と湿気が、晴れ渡った空へ立ち上り、カラッとした空気に包まれ始める山形盆地。

「オレだの生命力ば侮どんなよぅ。どっからでも生えでくっから」
地面の生命力はただ事ではない。廃タイヤの隙間から貪欲に顔を出す雑草たち。

「今はちょっと郊外さ行ぐど、どごでもこいな光景だはぁ」
盆地中が鏡面となり、空を写し村々を写し込む。

「・・・・・きしゃわれぇ」
「ほだなほっつこっつあざぐてよぅ・・・・だど」
「なんぼがなっだが・・・・」
切れ切れに聞こえる会話が不穏の空気を伴っているので、声をかけるのも憚られる。

永年積み重ねてきた季節と、人々の営みの上に成り立っている光景。
だから、どこにでもある当たり前の光景という一言では切り捨てるのはもったいない。

板塀へ寄り添うように、小さく咲いているのに、名前はセイヨウジュウニヒトエと結構きらびやか。

「痛ぐないが?ほだいかちゃばがっで」
「慣れだげんとも、カサピタでぎでもすぐかちゃばがれんのよぅ」
兄は妹を守るようにしっかりと腕を握る。

「子供だは運動会でくたびっで帰てくっべがら、何食しぇだらいいべなぁ」
「うごぎご飯なのいいんねがよ」
「おらいんなコゴミが大好ぎなのよねぇ」
木陰の会話は子供たちに届かない。

遠く奥羽の山並みと万国旗に見守られながらの運動会。
山形の街中じゃ考えられない雄大な空を欲しいままにして、子供たちは一生懸命さを青空へ発散させた。

運動会の最後に、段の上で白組赤組の団長が声を枯らしながら、そして涙を流しながら抱き合う。
万国旗と大人たちは微笑みながら様子を見守り、
低学年の子供たちも何か察するものがあり、少しだけ大人しくなってしまう。

「おらいんな、げっぺいんねくていがったぁ」
「げっぺいて煎餅の一種?」
「なにゆてんの〜、ビリのごどだべず」
タイヤは尻に敷かれ、太陽に熱せられる。

グランドの真ん中でつくねんと立ち尽くす太鼓の響きは、
今頃どこまで飛んでいったのだろう。

親たちのまなざしがグランドを一直線に伸びている。
子供たちはその視線を背中に受け、気恥ずかしく感じながらも少しばかり嬉しい。

「せっかぐの運動会なのに、なにしかめっ面しったの」
「内心は喜んでいるんだげんと、顔さ出さんねがら悲しい」
逆に顔で笑って、心で泣くという場合も多々ある社会。

火の見櫓をすり抜ける陽光。鉄骨を真っ黒く焦がす太陽。

初夏の空気を感じ取り、渦巻き状にギュッと固まっていた花びらが、次から次へと心を許すように空へ向けて開いていく。

TOP