◆[山形市]七日町通り初市 狭く長い通りで細く永く(2012平成24年1月10日撮影)


東京の乾いた道を歩いたって何も残らない。
でも山形じゃ、雪の上へ先に歩いた人の足跡が沢山残る。
「気ぃつけで歩げなぁ」という声と共に。

「あいやや~。休日の街中では珍しい渋滞だは~」
やはり初市の吸引力はただ事では無い。

「なえだて歩ぎづらいったらぁ」
「これぐらいの雪ならたいしたごどないべ」
「んねんだず。中さ履いっだモモヒキがたごまてよぅ」
この頃はモモヒキをレギンスと称し、女性はそれを見せて歩くらしい。

「団子木買ったがらあどいがんべはぁ」
「団子木ずぁ、なんだが灯りが灯てるみだいでいいずねぇ」
一小のコンクリート塀は頭に雪をかぶりながら、黙って団子木を目で追っている。

「雪さズボッと埋まったみだい写すなず。
めんくさいったら」
たいした積雪じゃないけれど、あちこちで雪の小山が高さを競う。

二宮尊徳は雪を背負っていることにすら気付かず、
本を読み続けるのでした。

雲間から現れた太陽は、人々の影を地面へ浮かび上がらせる。
その太陽を遮って玉こんにゃくは空に翻る。

「かえずなのなんたよ」
「ちぇっとなぁ」
「気に入らねのが?」
「んだて重だくて持て帰らんねべよ」

「うわぁ、もさもさてぇすごいったらぁ」
「確かにすごい鈴なりだげんと、もさもさなてやねべぇ」
空から降る団子木はぶらんぶらんといい、雪が沢山降る場合にもさもさという。

手をつだせば届くような所を、団子木が去って行く。
手をつだしても届かない空を、冬らしくない柔らかい雲が流れてゆく。

ブーツと長靴に群がる人々。
東京ではSuicaが無いと移動に困る。山形ではゴム長がないと外へも出られない。

AZの前に立ち、通りを過ぎる人々を見守りながら考える。
全国の十人に一人は東北人。東北人の十人に一人は山形人。
つまり全国の百人に一人は山形人。だいたいだけどね。

「まだいだりゃ。いっつも名前忘れっげんと」
名前を覚えられるためには力仕事も必要だ。

「上から見っど、人の動きもおもしゃいもんだなぁ」
暖房の効いたAZの静かな空間からじっと下を見おろす。

黒い防寒着に身を包み、心の襞にそれぞれの苦渋や喜びを包み、
人々は一番街を通り過ぎてゆく。

「いい案配だなぁ」
「気持ぢいいくて出んのやんだはぁ」
二人はキュッと一杯いきたい気分。

「ほだなさもたれて何してんの?」
自我が目覚めれば、たまには親以外にもたれてみたくなる。

「どいずいんだべなぁ。みな表情が違うま」
実の中にため込んだ太陽の光で、干し柿はみんないい表情をしている。

「こいずの中ばくぐっだい」
「くぐんのはいいげんと、なにおもしゃいのや」
子供のうちから狭き門をくぐるのは、親として見ていられない。

冬の冷たい風を受けながら、パンパンに膨らんで子供を待つ。

山形人になじみ深い通り。
明治や大正・昭和初期のセピア色の写真を思い出し、
これから十年後、百年後にこの通りはどうなっているんだろうと心にさざ波が立つ。

建物は空に向かい、人々は身の丈に合った視線で初市を楽しむ。

「ほだな冷たい雪なのちょさねで、どんどん焼きでも食ねがはぁ」
雪の白い輝きには子供を誘惑する魔力がある。

「ほれ口だげ開けで待っていねで、手つだせ」
子離れ親離れしない頃が一番いい思い出になる。

「おえっ、あんまり手ば奥まで入れんなぁ」
「このポストはばげっだぁ」
喉にルゴールを塗られた子供の頃を思い出す。

「あいや、キロキロだどれはぁ」
屋根の雪が溶け出し雨樋を伝っても、地面へ辿り着くのは春頃か。

「縁起いいっだべしたぁ」
「んだがらみんな担いで帰んのがぁ」
こんな世の中だから、人々は縁起担ぎに余念なし。

「売っで売っでしゃますして笑てんのんねの。笑顔が大切なのよぅ」
冷たい空気の中でふりまく笑顔は、心の体温をちょぺっとだけ上げてくれるようだ。

「花ば背景に撮ってけっからちょどしてろ」
ちょどしている子供の脇を、いろんな足音が右に左にぞろぞろと過ぎてゆく。

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