◆[山形市]山形駅東口西口・城南橋 雨に歌えば(2021令和3年9月18日撮影)

世の中は複雑になる一方。
それでもその複雑さの中に生きている以上、
それを支えていかなければならない。

「あぁ、食た食た」
仲間同士、満足感を共有し、街へ一歩を踏み出していく。

「さんま食だいぃ」とは思うけど、
濡れそぼる案内に心も湿ってくる。

「なしてこだんどぎチェーン外れるんだず・・・」
少年は焦って、なかなか上手く手が動かない。
「しかも交番の前でが?」
柱から現れた黒傘が余計なことをいう。

駅から北に向かえば城南橋。
雨に歌えば、口に雨粒入る。

「赤い車の耳飾りが?」
「おもしゃいごどいうんねがい?」
ムクゲはすっかり山形弁になっている。

すっかり丸く大きくなった篠田病院前のザクロは、
口をすぼめながら、雨模様で湿った大気を吸ったり吐いたりしている。

「おーばん篭も消毒液もクッションの効いた椅子で優遇さっでんのんねが?」
味のこだわりダンボールは面白くない。
「おらぁ、一斗缶なのによぅ」
そんなこといわれたら味ごのみを支えている一斗缶の立場がない。

雨で黒ずんだ染みが城南橋のコンクリートを伝う。
その下を傘が急いで去ってゆく。

城南橋から北を望めば、駅から霞城公園東大手門へ一番の近道、
桜町の通りが雨に濡れて伸びている。

エイリアンがうねっているような形で城南橋が伸びている。
そういえば、昭和の城南橋はもっと無骨で実直そうだったな。

「どっちが目立つ?」
「どっちも目立つ」
オレンジは目立つために生まれた色。

「踏切無いのは便利なんだげんとも・・・ふぅふぅ」
確かに、四角四面のフェンスに囲まれ、
あれだけ長いこ線橋を歩いて渡るのは、年寄にはちょっとキツイかも。

フェンスには密な状態で滴が垂れる。
ある者は電車の振動であっけなく落ち、
ある者はいつまでもぶら下がり、体内に景色を映している。

雨の公園で遊ぶ者などいるはずもない。
たまに通る者も公園へ意識が向くことはない。
公園は夏のほとぼりを冷ますように雨に打たれる。

「イチゴにしてはデゴボゴだんねが?」
「めんこい形だどれ」
ヤマボウシの実は泣き笑いの顔を浮かべるだけ。

「引張んなずぅ。倒れっべな」
「おまえも近づくなずぅ。好きなのがぁ?」
じゃれ合いながらだと、雨の中での仕事も楽しい。

公園に入り込み地面へ近づく。
滴を溜め込んだ葉っぱや枯草がただ広がるだけ。

城南橋の下を電車がくぐるのは当たり前。
城南橋の下に汽車がいるのは雨宿り?

雨に濡れた雲梯の横棒には、
普段なら子供たちがぶら下がり、
雨の日は滴がぶら下がるという暗黙の掟が成立してる。

城南橋の下で雨宿り。
「指のついている靴下て、小指の部分だけ脱げでしまうごどないが?」
「あるある〜!靴ば脱ぐど必ず小指だけ外れででちょっとイラっとする」
あの小指だけ横を向いた靴下を見て、自分だけではなかったと内心小躍りした。

滴は曼殊沙華の赤い放射状に沿って連なり、
滑り落ちては、また膨らんでを繰り返す。

この雨では動物たちも雨宿りっだなねぇ。
「おまえは博多どんたくのお面で雨宿りが?」
見つかってしまったと、お面の目が視線を逸らす。

「なんだが最近、食事の配達が流行りらしいげんと、
山形で一番心配なのは冬っだずねぇ」
「んだ。雪の日は割り増し料金にさんなねべなぁ」

「城南橋も壁が圧迫感あっずねぇ」
圧迫感ば無ぐすが、便利さば追及すっかに解決は訪れない。

「水ば撒ぐ役割なのに、雨の日は隠っでんのがぁ?」
ジョウロは自転車の脇でこっそりと雨に打たれて体を洗う。

朝顔が項垂れる。
雨に追われて傘が通り過ぎる霞城公園南門付近。

「なにしったんだ?誰も見でねどもて」
南門前の小庭園に目を凝らせば、
自然は明日への命を繋ごうと息づいている。

「カッケーッ」
自転車から足を中途半端に上げ下ろしをしながら、
雨の日に「夕陽」を見て心が動く。

並木の根元を囲む鉄板へ、
落ち葉や木の実が、焼肉の様に乗せられていく。

「おらだもそろそろ終わりっだなねぇ」
ヒマワリは赤い傘が遠ざかるのに目もくれず、
自分たちの引き際を考えている。

駅西にも例外なく雨は降り、
時間と傘を気にしながら、駅へと急ぐ人々。

ヤマボウシの実が地面へ落ちて、
空を見上げて、自分たちのその後を思う。

ヤマボウシの実は霞城セントラルの西側一面へ落ちて広がっている。
誰も拾わないのは何故?誰も見向きもしないのは何故?
初夏に白い花が人々の目を楽しませて終わりか?
赤い実はおいしく頂けるって本に書いてあったぞ。

ヤマボウシの赤い実が滲んできた。
女の子は傘を畳み終え、霞城セントラルの中へ消えていった。
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