◆[山形市]七日町通り はたらく車とはたらき終えたビル(2019令和元年5月5日撮影)

「大沼ど丸久さ行ってくる。」
これは市民にとって最高の娯楽であり、自慢できるショッピングの形だった。
その双璧の一角が半世紀以上のはたらきを終え消えた。

市民から遮断された塀の内側で新たな令和が始動しつつある。
街灯は半開きの目をうつろに開けて、その様を眺めている。

令和は山形にもやってきた。
流麗でとろけ落ちそうな書体の手前で、アイスがあっという間に溶けていく。

「なして金太郎がぶら下がてるんだ?」
「今日は子供の日なんだじぇ。」
「子供なの半世紀前に終わたもはぁ。」
「ほいにやねで楽しんでけらっしゃい。」

「ちっちゃくなっちゃったぁ。」
鯉のぼりはちっちゃくなっても、胴体に書き込まれた夢は大きい。

大河に懸けられた大きな鯉のぼりを、
そのままジオラマにして復元しました。
「こいなも有りっだな、考えだ人に天晴れっだず。」

老若男女様々な人々が石橋を渡る。
小さな鯉たちは、真下からその様子を見上げている。

山形の気温は27度を超えた。
水面の煌めきと涼やかな風を受けながら、夢に向かうちっちゃな鯉のぼり。

堰を挟んで人間と菖蒲の対局か。
いや、ただ単に菖蒲が涎を垂らして体も垂らして人のアイスを見てるだけ。

子供に見せてはいけないものもある。
丸久(セブンプラザ)の瓦礫を見せないために、無機質な塀が造られた。

「陽差したどごさ出んのやんだなぁ、暑くてよぅ。」
あっという間に初夏を迎えた山形。
ガラス面に映る大沼と滅多にない人混み。

60年の間、昭和・平成と丸久の北側に日の当たることはなかった。
令和になり遂に太陽の光が降り注ぐ。
この広大な空間は、丸久を知る世代にとってはポッカリ空いた大きな心の穴。
令和へ積極的に向かう世代にとっては、先行きの明るい広大なスペース。

「あべあべぇ、大沼さぁ!」
と思いきや、目指したのははたらく車。
今日だけはしょうがない。

近頃の子供はポーズをとるのが旨い。
そりゃそうだ。
どこへ行っても母親から強要されてスマホで撮られるんだもの。

事故か!
地面に足を投げ出し、自転車の前輪を踏んでいる。
自転車は身動きできず、足が引っ込むのをじっと待つ。

「くぐらないでください」とはどこにも書いてない。
あくまで「のぼらないでください」だ。
「触らないでください」でなくて良かった。

「頭燃えっだどれ」
頭のてっぺんにはかろうじて、熱気を逃がす空気穴が空いている。
山形のゆるキャラがイソギンチャクに変わった子供の日。

「じょんだげんと、めんご過ぎねが?」
目の前の現実を忠実に再現するわけにはいかない大人の事情。

「こだごど幹さ結ばっだなてはじめでだぁ」
ドアは屈辱に耐え、なぜこんな仕打ちを受けるのか考えている。

鎌首をもたげ、そのままの格好で空中停止。
「暑いし、筋肉痛いし、あど勘弁してけろ」
子供のためなら大人とはたらく車は我慢する。

小さな指が篭から覗く。
その姿を逃がすまいと父親は小さな画面をまさぐっている。

とにかくスマホに小さく圧縮して思い出を残すのが親の役目。

看板の脇で、とめどなく風船を膨らまし続けるおじさん。
自分の家族を後回しにして、イベントのために風船を膨らまし続け不満も膨らむ?

「ビガビガに磨がっでだどれぇ」
車も人間も磨がれっど光るもんだもなぁ。

暑さに人々は日陰へ逃げ込んだ。
背後から熱い視線が見つめてくることも知らずに。

ちゃんころまいは親子の絆を深める最上の行為。
数十年経てば、今度は子供が親の手を引かねばならなくなるんだから。

どこか遠くからやっとの思いで這ってきたような看板。
「ほごまでして仕事ば全うしようとすんのは偉いげんとよ、見栄えも考えねど・・・」
「見栄えより仕事だっす」
看板は頑なな態度を崩さない。

赤い風船がゆっくりと遠ざかる。
ドアの取っ手に結ばれた花笠はじっと目で追っている。
その手でいつの日か取っ手を引き開けてくれることを願いながら。

昭和に造られ栄華を誇ったビルが崩れ落ちた。
その向こうでは令和のイベントが盛り上がっている。
時代は常に動いている。止まることはない。
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