◆[山形市]六椹八幡宮例大祭 食欲踊欲歌欲の秋(2018平成30年9月15日撮影)

盛られた塩に、夏の湿気と、人々の熱気が吸い込まれていく。

一夏以上もぶら下がり続けていたおみくじは、
夜の灯りに身を捩りながら慌てふためく。

夜の街に浮かんだ六椹八幡の灯りへ誘われるように、
ひっきりなしに人々が訪れる。

白装束が近寄りがたさを醸し出す。
特に心身ともに汚れた私は近づきがたい。

どういう儀式なのかもよく分からないまま、
空を夜が支配しようとする時間帯に、心が不謹慎にも浮かれてしまう。
周りを見ればみんなスマホで撮ってるし、自分だけが浮かれているわけでもなさそうだとホッとする。

山形市南部の鎮守、六椹八幡宮の灯りに呼応するように、
近郷近在から集まった自転車たちが煌めいている。

参道入り口付近にあるアイスモナカの露店で、まずは火照った体を鎮める。

私が子供の頃、つまり50年以上昔から参道右側のこの位置には田楽屋さん。
完全に定位置となった場所で、毎年白い湯気を立て子供達を魅了してきた。

境内敷地にはいったい何十軒の露店が建ち並んでいるのだろう?
引きも切らず訪れる人々は、様々な露店に吸い寄せられる。

キラキラ輝くおもちゃが、子供達の瞳に反射する。

絵馬の隙間をさんざめきが行ったり来たりしている。
絵馬は静かにざわめきを受け流している。

「明日は日本一の芋煮会さ行がんなねし。」
「今日は今日で、八幡様は外さんねし。」
「ほんてん秋の始まりは忙しいずねぇ。」

「次なに食う?」
「あんまり食うど、家さ帰ってがら夕ご飯食んねぐなて、お母さんからごしゃがれっじゃあ。」
それでも唐揚げを食べる口は止まらない。

これから酒を飲めると思いつつ、
一連の儀式を淡々とこなす。

オレンジ色の灯りに包まれた空間は、
現実世界を忘れさせてくれるのに十分だ。

皆の視線が御輿に集中する。
かけ声が境内に轟く。
熱気がケヤキの枝の間を抜けて、闇の中へ溶け込んでいく。

何も言わずとも、両肩には満足げな安堵感がまとわりついている。

今年の例大祭も間もなく幕を下ろす。
安堵感と疲れと感謝の心が入り交じり頭を垂れる。
そしてこれから始まる酒宴の事が少しばかり頭をかすめる。

どんどん焼きの説明文も随分と垢抜けた。
リヤカーは両肩に重さを感じつつ、じっと祭りの終わりを大人しく待っている。

こごさ座っどごしゃがれっかもすんねという気持ちを心の隅に感じながら、
ブルーシートの隅っこに座る子供たち。
早く帰った方が良いのか、親にごしゃがっでもいいがらもっと遊ぶべきか迷っているようだ。

「おらだの役割も終わたし、あどは飲むだげっだなぁ。」
「あんまり飲むど、明日の芋煮会さ行がんねぐなるはぁ。」
程よい体の疲れと、祭りの高揚感が体を包み込んでいる。

ケヤキの葉っぱも判別しづらくなってきた夜。
益々露店の灯りが際立ってくる時間帯。

簾の向こうに浮かれた空気が透けて見える。
そぞろ歩く人々の流れは絶えない。

自転車で来れる位置に地域のオアシス六椹八幡様があることを感謝さんなねっだな。
銀輪の隙間から祭りを眺めながら、近所の人をうらやましく思ってしまう。

明るい露店の並ぶ場所からちょっと外れて、ケヤキの根っこに腰を下ろす。
ボーッと人々の流れを眺めているのもいいもんだ。

灯りを反射してテラテラ光る焼きそばの麺。
香ばしい匂いが鼻腔をくすぐってくる。

どんどん焼きの生地に、手慣れた指先がソーセージを乗せていく。

狛犬の怖い顔が、少しばかり柔和になっているようだ。

とっぷりと暮れてしまったというのに、拝殿は益々煌々と灯りが照らされ、
鈴の音がガランゴロンと光と闇の間を転がっている。

「まんずいがったなっす。」
「んだずぅ、ほんてんいがった。」
ほっとした笑顔が滲み、ぼわっと浮かびあがる。
みんな角が取れてしまい柔和な顔をしているじゃないか。

マジンガーZのようなトラックの荷台は演芸会の舞台。
これから始まる大人達の饗宴を、気を引き締めて待っている。

灯りに照らされたケヤキの森が、火照った体の人々を見下ろしている。
これから始まる大饗宴を、ケヤキの木やご神木はすべて目に焼き付ける。
そしてその後に葉っぱは色づき始め、本格的な秋を迎える。
TOP