◆[山形市]高瀬蔦の木・空にも川にも鯉およぐ(2018平成30年4月28日撮影)

アクセルに力を込めてトラックが坂道を登っていく。
花びらは、その振動と舞い上がる風に翻弄される。

「邪魔で前見えねず。」
石碑群は平石水のバス停に迷惑げ。
「んだて今はオラほの方が人々にとって重要だがら。」
バス停は胸を張って前に立つ。

道なりに行けば紅花のふるさと。
「おもひでぽろぽろ」の聖地。
「んだがらだが?ペットボトルも紅花色だどれ。」

坂を下れば開けた場所に出る。
とはいっても、両脇を山に挟まれた土地なので、
高瀬は日の出が遅く、日の入りが早いと、地元の人は自虐的にいっていた。

石碑の頭の上に若葉たちはまだら模様を作っている。
白いそばかすだらけの石碑は、黒いまだらを振りかけられても黙っている。

1982年の夏にトシオのおんぼろ車でこの坂を上ったタエ子は、
今どうしているのだろう?
子供も大きくなったんだろうか?
おもひでがぽろぽろとあちこちに散在して問いかけてくる。

草花は勢いを増し、せっかくの撮影を邪魔してくる。
その先にはあんなに鯉のぼり。

もそもそと空をこちょばす樹木の向こうに泳ぐ鯉。

笛吹けど踊らない者は誰一人いない。
今はダレているけれど、風吹けば一斉に踊り始めるはず。

鯉のぼりを脇から見られるところはたくさんある。
でも、河原に降りて下から見上げられるのは珍しいかも。

「止まれ!」まずは見てから行け。
老骨にむち打って呼びかける。

通りからの入り口には、まずは序の口の鯉のぼりが迎えてくれる。

切畑・蔦の木、なんと牧歌的な、でも農家の苦労が忍ばれる村名だろう。

「蓮て湿った低地さ咲ぐのんねがした?
こだい見晴らしの良い場所さ咲ぐんだ。」
ハス池という看板を見つけ、また一つ良い場所を見つけたとほくそ笑む。

「おらだばないがしろにすんなよ。」
鯉のぼりに簡易トイレが訴える。
人の集まる場所には絶対必要な物なんだがら。

笑いながらごしゃいでいる。
竹中直人か?

「早ぐ行がねど、鯉のぼりが行ってしまうはぁ!」
決して逃げはしないが、なぜか早足になる。

山は萌葱色に輝き、高瀬川には光が散乱している。
至福の時間を鯉のぼりとともに過ごす贅沢。

積み上げられた薪。ひょこひょこと首を伸ばして並ぶ水仙。
水仙の花びらは五線譜に書かれた音符たち。

「あ〜まぶしいったらぁ、目がシカシカしてくるぅ。」
森羅万象が輝くとはこのことか。

「なしてコンロなの撮るんだべねぇ。」
不審の目を向けられて、思わず心で言い分けをする。
「鯉のぼりばり撮らっで、コンロがえんつたげっど悪れどもてぇ。」

親の目は子供9割、鯉のぼり1割。
子の目は親1割、鯉のぼり1割、あとはその他もろもろ。

♪若葉が街に急に萌えだした
♪ある日私が知らないうちに
天地真理の「若葉のささやき」を思い出すなんてと、苦笑しつつ青葉を見上げる。

隠れた暇つぶしスポット。
あ、失礼。逃げも隠れもしない人気スポット。
高瀬はけっして紅花だけじゃないと確信する。

「まだ来年来てけらっしゃいなぁ。」
「ありがどさまぁ、まだ来るっす。」
高瀬盛り上げ役の酒井さん。
鯉のぼりとともに、酒井さんの弁舌も名物だ。

ぴゅんぴゅん空に登る鯉。
ずーっと眺めていると自分の体も空へ浮遊するような気がしてくる。
そして頭の上にばかり気を取られ、足首が砂利でギクリとなる。

一応撮っておこうと、標準的なアングルで狙ってみる。
なんの忖度もなく、なんの斟酌をしなくても、当たり前に綺麗な光景が広がる贅沢。

「なにがいだのが?」
「しゃねぇ、石ばひっくりがえすだい衝動が起ごたんだも。」
重箱の隅を突くよりは、ずっと意味のある行動だ。

「おまえだら、どさでも生えっずねぇ。」
「そういう言い方ないべぇ、生命力があっずねぇてゆてけろ。」
タンポポは泳ぐ鯉を眺めていて、突然声を掛けられムスッと答える。

「鯉は上るだげんねんだなぁ、下ば見ろほれ。」
「なんだず、これは鯉上りんねくて鯉下がりが?」

「どいず一番大っきい?」
「お母さん、あたち、一番ちっちゃいのお父さん。」
家庭での存在感は体の大きさに比例しない事を証明する言葉。

「気ぃつけろぉ、ほろげ落ぢだらずぶ濡れだがらな。」
ほだなごどを言う、私の足元が覚束ない。

高瀬の春は、空の上も川の中も鯉づくし。

鯉に上と下からサンドイッチされて、
石の上を裸足でぴょんぴょんと跳びはねる。
こんな光景を、目を細めながら見つめる時間が永く続けばいいなぁ。
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