◆[山形市]霞城公園 半分寒い、半分ぬるい(2018平成30年4月14日撮影)

感涙しながら口ずさめ!二中出身者たち。
今は味気ない建物が建っているけれど、紛れもない二中の跡地。
ちなみに私はライバル校の三中だぁ!

「おまえも貼らっだのがぁ。俺もだぁ。」
「おらだが何が悪れごどしたが?」
「黄色いシールはおらださ貼らねで、ゴミ出しした人さ貼ったらいいべずねぇ。」

人には近づきすぎると嫌だという距離がある。
適度に間隔を開けながら「どんどん焼き」へ並ぶ人々。
都会へ行けばこの微妙な距離感はもっと縮んでいるのだろう。

「どさ行ぐ?」
「こごまで来たもは、霞城公園さ行ぐしかないべ。」
男二人に女の子一人か。
これは微妙な関係だなと、聞き耳を立てながらほくそ笑む真っ赤な花びら。

これが塗り絵だったら、あまりにも難しくはないか?
微妙な春の色が複雑に入り交じっている霞城公園南門。

人の大きさと比べて、初めて分かる石垣の壮大さ。

「本当はこだな写真は撮っだぐないっけのよぅ。
20年前に撮ったどきは、人っ子一人いねっけのに、政府のパンフさ載ったもんだがら、
あっという間に定番撮影場所になてしまたもはぁ。」

「昔だごんたらあり得ね人の列だずねぇ。」
この人々は、昔すぐ右側さ(城南橋のすぐ北側)踏切があっけなてしゃねべなぁ。」
しかも会話を聞けば中国語。観光地も変わったもんだ。

「なにがど形が似でっど思わねが?」
「んだ、ローソンのあのくびれたマークっだず。」
東大手門の橋は、もしかしてローソン橋という通称にしても良いかもしれない。

急に有名になった定番スポットを城南橋の上から撮ろうとした。
なんだて電信柱と電線が邪魔してカメラマン泣かせの場所だった。
でも黄色く輪っかになった口が言っている。
「仕事なんだがら、ほだごど苦情言わっでもおらだも困る。」

「城南橋の西側も拡幅さっでがらは、なんだが都会みだいになてしまたずね。」
「横断歩道ばあだい、なして人が歩くんだ?」
「あ、ほうが。霞城公園さ花見に行ぐ人がぁ。」

城南橋から東側の光景を見るのが好きな山形市民は多い。
なんといっても雁戸山が真っ正面で尖っているからね。

「雨降らねべねぇ。」
今日の天気予報は午後から崩れるとのこと。
鱗状の雲の隙間から、かろうじて光が漏れるだけの中途半端な天気だ。
城南橋の上にいると、半分寒く半分ぬるい、微妙な気温。

「おまえ新参者だべ。んだて錆一つないもの。」
「頑張て錆の一つも出るようになれ。錆が出てきたら一人前だぁ。」

下からせり上がる桜の花びらたち。
桜は見上げるものとの先入観があったが、
霞城公園では、そんな常識は通用しない。

「もっと下がてこい。」
精一杯手を伸ばして花びらを撮ろうとする。
桜も気を利かして少しだけ枝を下げている?
束ねられたアジサイは、その交流をうらやましげに眺めている。

クレープ屋さんに押し寄せる桜たち。
でも超すに越せないお堀がある。

人は口で当たり障りのない事を喋り、靴で本音を語る。

微笑む桜の下。
「おもしゃいっけね。」
背中から可愛い声が聞こえ、お父さんは内心来て良かったと感じている。

撮り放題、見放題。
桜はすべてをさらけ出し、人々は欲望をさらけ出し、見まくり撮りまくる。

人々の列は桜を目指す。
寒椿は圧倒するような人々の列を眺めながら、
地面の冷たさを感じつつ孤独を味わっている。

観桜会の時は、大気をかちゃばぐような音色があふれ出すのだろう。

この子は決して営業活動も広報活動もしていない。

あらゆる世代の県民に親しまれてきた県体育館。
玄関の住所番地は一丁目一番地に違いない。
と思いきや、霞城町1-2だった。
「1-1はどごや?」
1-1は旧済生館だった。ちなみに東大手門にも1-10という番地が振られている。

展望台から本丸を眺めていた親子が階段を降りてくる。
ここからは見えないが、その手はギッツグ握られているに違いない。

桜を直視するには、あまりにも綺麗すぎる。
ふと振り返って県立博物館を見たら、
そのガラス面も桜が満開。
あまりの桜の勢いに、傘たちは身の置き所がなく戸惑っている。

ちっちゃな人間たちを食べ放題の、
ここはジュラシックパークか?

最上義光騎馬像は、相変わらず長谷堂を向いている。
自転車はそっぽを向いて、あらぬ方向を眺めている。
二人の間に気持ちの繋がりはまったくないようだ。

東大手門の下を今まさにくぐろうとしている電車。
土手に連なる桜を眺めようと、電車の窓に人々の顔が連なる。

「んがーッ!」食欲に際限なし。
二人は綿飴を持つ左手の高さも同じ、右手の動きも同じ、ついばむ速度も同じ。

「肖像権があっから、顔めしぇねぇ!」

「ぺたぺたくっつぐがら、おっきぐ口開けて食えよ。」
人は口を大きく開けるのに顔中の筋肉が必要だ。
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