◆[山形市]山形駅前・駅西 山形の顔に雪を塗る(2018平成30年1月4日撮影)

年が明けたばかりなので、自分の定番と決めている位置から駅前を撮る。
今頃気づいたが、駅前の歩道にはさっぱり雪が無い。融雪設備がフル稼働なんだね。

傘に積もる雪が、バスをどれだけの時間待っているかを物語る。

駅正面玄関のガラス張り屋根に雪が張り付き、構内の人々を伺っている。

「いったい何年なたずぁ。空き地になてがらよぅ」
ニチイもビブレも遠い過去。
駅前の山形の顔になる部分に泥を塗る、じゃなく雪が積もる。

「駅前なのに静かなもんだずねぇ、チュッチュ」
「ゆっくりするいくていいばんだべず、チュッチュ」
まさに駅前は門前雀羅というか駅前雀羅。

「なんぼ掃いでも切り無いずぅ。」
掃いたはずが、地面はすぐに白くなる。

「なんだてでっかい看板が出来だんねがい。」
「目引ぐがらいいんねがよ。」
看板を見上げようにも、傘が遮る。

「お願いなのすねったて大丈夫だべ。」
この雪じゃ車も自転車も入り込めない。

「寒くてクルクルて丸まてらんなねま」
体が夏仕様の簾には耐えられない寒さ。

「雪かき放題一時間で千円でなんた?」
「誰が雪かきして金払うのや。」

マンホールは暖かいんだが寒いんだが分からない状態に置かれ、ギラギラとまぶしく光っている。

綺麗にという呼びかけに、反感を持つ白いペンキが暴れてる。

ビルは表を飾り、裏は飾らない性格。
「ほろげ落ぢんなよ、エアコン室外機。」

「早ぐ向こうの人どげでけねがな」
いつまで立ってもどけないと思ったらミラーに映った自分だった。

自販機の表面をツツーッと水滴が流れ落ちる。
雲間から太陽が顔を出してくれたようだ。

年が明けたばかりだというのに、間もなく閉店するという十字屋。
これはしっかりと目に焼き付けておかなければならない。
「あれ?手前の焼き鳥屋さんばっかり、おっきぐ撮ったっきゃあ」

雪雲がちぎれて青空が顔を出す。
来年に空を見上げたら、もうあの十字屋のマークは見られないのだろう。

十字屋の屋上看板から湯気が大量に空へ向かって伸びている。
最後の力を振り絞っているようで、悲しさが胸に広がる。

「今年はなんたんだべなぁ」
「そろそろ再びJ1さ行っても良い頃んねが?」
「看板倒れになんなよぅ。」

手がもげている。
持つ部分がない。
悲しい傘は雪に突き刺されて置いてけぼり。

一粒一粒がはっきり分かるほど雪は真新しい。
ペデストリアンデッキの手摺りには近づく人もない。

「頑張れ山交バス〜!」
屋根の雪を見たら、なんだかとても言ってみたくなった。

「こだなくらいだごんたらたいした事ないげんとな。」
「まだ今年も始またばっかりだがら、今からどうなっかわがんねぞう。」
足跡は雄弁だ。

山形を凝縮した空間。
でも綺麗な上っ面の部分だけが凝縮されているだけ。
本当の山形を知ってもらったうえで、ようこそやまがたと言いたい。

「スマホばり見ていねで、周りばよっくど見ろよー。」
初市の団子木はカラカラコロコロと呼び込みに余念が無い。

「うけるぅ。まじまんじぃ。」
女の子は何を見ても、言うことが同じ。
団子木は、何を言われているのか理解できず狼狽える。

「頭隠して足隠さずっだな。」
「盛りすぎっどこぼれ落ぢっぞ」
「おんちゃんほだいごしゃがねで。時代ばちゃんと追っかげらんなねっだな。」

「俺は展望案内なの見ねったて、どさ何あっか分がっっげんとよ。」
四季の案内があればもっと良いとブツブツ心の声が呟く。
だって、案内の青々とした写真と外の真っ白な光景が違いすぎるし。

車輪の跡は束ねられた糸のよう。

霞城公園南門。
あんなに足跡が多いということは、公園内も完全に市民の生活道路になっているということだな。

これからも何度もこのアングルで撮る予定。
「んだて、新県民会館の工事進捗状況が気になっべ?」

山形市民がいかに車に毒されているかの象徴。
そういう自分も車なしには生きていけないけれど、こんな山形に誰がした。

びちょびちょの路面が薄日でテラテラ光っている。
このぐちょぐちょびじゃびじゃが山形なんだずねぇ。

木の周りを迂回するように人々が歩いて行く。
でも雪原に足跡を残していく偏屈者もいるようだ。

山形市の雪は中途半端。
新庄や米沢に比べたら極端に少ない。
でも、仙台のようにまったく降らない訳でもない。

「なして展望台さ登ってまで、えんつたげらんなねんだず。」
父親はぐずる子供に手を焼く24階。

「あいずおらいの家んね?」
「んねべぇ、あだいおっきいがよ。」
「んねず、その隣だず。」
「はえずぁ、犬小屋だべ?」
24階まで登れば誰でも少しはハイになる。
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