◆[山形市]はたらく車大集合 働き過ぎるなはたらく車(2017平成29年5月5日撮影)

絶好の行楽日和。
この間までの寒さはどこへ消えた?

「しゃねっけぇ、玉こんさいろんな種類があるなて」
「玉ごん?でっかい玉こんだどおもたら、卵なんだどれ」

山形県の人口が100万人を切るカウントダウンに入っているというのに、
この人混みはなんだ?

渋谷のスクランブル交差点と良く比較される七日町のスクランブル交差点。

「見ろほれ、人がちゃっこぐなたじゃぁ」
「やんだぁ、おかないぃ、人がちゃっこぐなんのやんだぁ」
少しばかりのガリバー気分。

はたらく車大集合のイベントに集まったのは11万人だという。
ということは山形県民の十人に一人が訪れた計算になる。

「お母さんなに撮ってんの?」
「人の頭っだなぁ。ほだないいがら手すりさちゃんとたづいでろ」

「あかちゃんの体験をしてみませんかぁ?」
「仕事に頑張るお父さんは、たまには赤ちゃんになてみっだいべなぁ」
「変な想像してねで、よっくど字読め。あかちゃんのお風呂体験て書がったべよ」

「こちょばしてけっぞー」
「どごば?」
おばちゃんの指先は慈愛に満ちている。

「子供ば喜ばせるっていうのは、ものすごく暑いのよねぇ」
着ぐるみの中は蒸し風呂。頭の中は溶けそうに違いない。

「ちゃぺバスだぁ」
「ちゃぺバス?」
「山形では猫のごどはちゃぺていうの。んだがらちゃペバス」

「かえずでトンネルの壁ば掃除するんだど」
「んだらこのゴンドラ?が日の目ば見んのはこの日だげなんだべした」
「いづでもトンネルの中ばりだがらて、おっきぐ背伸びしったみだいだどれ」

なんの変哲も無い写真だと感じる人は山形知らず。
この丸久(少なくとも私の世代はそう呼んでいた)が間もなく取り壊されるのだ。
私が子供の頃は、七日町といえば丸久と大沼が双璧のデパートだった。

そして、いづのこめが真新しいビルが建っている。
七日町は生きていると強く感じる。

「ちゃんとたづいでぇ!ほろげおぢっべな!」
「やんだぁ、離してぇ。一人で登るいがらぁ」
子供は少しずつ親から離れてゆく。

「まぶしいごどぉ、せせらぎも綺麗だぁ」
山形の五堰は、山形市民の生活に密着して市内を毛細血管のように張り巡らせていた。
だから野菜や食器を洗ったし、その上流で小便もした。

御殿堰が観光地の一つになるなんて、昭和の頃は誰が想像しただろう。
想像ができないくらいに、在り来たりな当たり前の存在が五堰だった。

鯉のぼりが青空に食いついて離れない。
そりゃそうだ。これが終われば、また暗い押し入れの奥へ仕舞われるんだべがら。

「いがー、悪れごどすっど、こいにされるんだがらな」
よくよく見れば父親が子供の足を押さえている。
子供はさっぱり怖がらず、堰の流れを見入っている。

すっかり山形市民に定着した御殿堰。
今後は紅の蔵・御殿堰・まなび館などの点をいかに繋いで線にして、いずれは面にするかが課題なんだべな。

端午の節句に屋根へ菖蒲を置くのは、魔除け・厄除けなんだどっす。
ヨモギでもいいて、ヤフーの知恵袋さ書いであっけ。

柔らかめのアレではありません。
緑のソフトクリームです。
「暑くて溶けで流れ落ぢそうだどれはぁ」

「やっぱり街さ緑あっどいいずねぇ。心が和むものぉ」
郊外のショッピング街は毒々しい看板や無機質な建物ばっかりで、散策する楽しみに欠けている。
だからこそ街中に活気を戻すには緑が必要なんだと強く思う。
郵便ポストがにらんでいる。
「も、もちろん赤い郵便ポストも必要っだなね」

青い風船が目の端に入った。と思ったら、子供も現れた。
風船はそのまま子供の手に引っ張られて建物の影に消えた。

「おらだはバリバリの救急救助隊なんだげんともよ。
子供がギャンギャン泣ぐのにはどう対処したら良いが分がんねっす」
救助隊員は苦笑い。

街はどんなところへも映り込む。
唐揚げの電球の中でも街がうごめいている。

「子供だはよ。車のかっこよさばっかり見でっげんと、
おらだの苦労ば分がてける子供は中々いねのよねぇ」
その過酷な仕事を体中で現しているタイヤが嘆く。

暑さに耐えかねて暗がりの中へ入り込む。
バイクの金属質が暑い空気をキリッと冷やす。

「おもしゃいどさ、ちぇでいんからなぁ」
路地を抜けた大通りには子供が目を輝かせる世界が広がっている。

寸劇の青年たちは汗だく。
なんぼ汗だくでも、やりがいを感じている姿は美しい。

こどもの日を凝縮した街並みを見下ろしてみた。

こどもの日が快晴でほんとに良かった。
子供には明るい未来が待っていて欲しいし。

専称寺の背後に見える盃山・愛宕山はまだまだ柔らかい緑。
この緑が濃くなるのも間近だ。
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