◆[山形市]片谷地 梅雨の晴れ間に(2014平成26年6月15日撮影)

「サッカーも負げだし、あどは家族でゆっくりするしかないっだなぁ」
コートジボワールに敗れ、日本中がブルーになった日曜日。

「この子は、わにっからぁ」
お母さんが手のひらでご機嫌を取り、カメラを構える胡散臭いおじさんの前で、ようやく笑顔が生まれる。

シロツメクサには板壁がよく似合う。背景がコンクリートなら台無しだ。
勝手に決めつける人間を、不思議そうに首を伸ばして見入るシロツメクサ。

ふわーっと青空が広がってきた。
ペットボトルは体内に熱をため膨らんでいる。

「ほだいツンツンさんたていいべした」
「なにゆてんの。太陽さ向がて一生懸命伸びっだだげだじぇ」

ツンツン咲いていたのはノコギリソウ。
道ばたで腰の高さに黄色い円盤を浮かべている。

右手と左手の関係はぎくしゃくしているのかも知れない。
お互いに目を合わせず、あらぬ方向を見ながら掴み所のない空気を掴もうとしている。

「これだげ囲まれっど、ボールの出しどころがないもなぁ」
「何ゆてんの。車輪ば回すのもままならねぇ」
ワールドカップのことが頭から離れず、変なたとえになってしまった。

水田から吹き上がる湿気や、生暖かい風をいなし続ける壁は性格がどんどんまるくなる。

「違法駐車した人が、ごしゃいで岩ば置いでったのが?」
「風で飛ばねようにっっだず」
水田を渡る風は心地良い。でも、看板は痛々しい。

「ほんとなら子供だが遊んでるんだげんとなぁ」
誰もいない砂利の上には影がぬだばるだけ。

「うたた寝しったがぁ、ほごの自転車」
「周りじゅうみんな木だがら、吹く風も柔らかいしよぅ」

シャーッという機械音が大気を響かせる。
東北文教大(旧山短)へ向かう踏切を、今まさに疾駆する新幹線。

「どれ、新幹線も見だし、いよいよ片谷地の散策だな」
どんな街並みが広がっているのか心がはやる。

「クッサーッ、なんだべこの青臭さは」
空へ枝を広げ、青臭さを振りまく栗の木。

「近づいだらますますクッサーッ」
まるで山形の初夏を凝縮させたような臭いだ。
この臭いがあればこそ、秋には美味しい栗になる。

家並みを縫うように堰が流れる。
柿の葉っぱは陽に照らされながら、流れを飽きもせず眺めている。

往時の羽州街道が偲ばれる。
漆喰の剥がれた隙間から、蔵の中のひんやりとした空気が少しずつ流れ落ちているようだ。

「束になて、かがていぐべ」
「やめどげ、やめどげぇ。かなう訳ないがら」
何を勘違いしたか、束になって道路へ向かうなんて危険すぎる。

街道を外れれば、静かに堰が流れている。
街道の騒がしい空気とは180度違う、もったりとした空気が占めている。

身を守るように棘状の物がぷっくりした体を覆っているクロタネソウ。

「ほっだい高いどごさ登て、大丈夫だがっす?」
「何十年してっど思てんのや」
お爺ちゃんは慣れた手つきで脚立を上る。

脚立に掛かる足には安定感。
サクランボとのつきあい方が、永年の間に足先にまで染みついているようだ。

「80過ぎだげんとよぅ、あど誰もする人いねまぁ」
柔和な顔でサクランボをもいでいく姿は絵になるなぁ。

「近ぐさ幼稚園あっからよぅ。見張てだのよぅ」
注意を喚起する看板は一生懸命だが、季節外れなのに早く気づいて欲しい。

空へ向かって伸びるテッセン。
花びらを落としても、まだ空へ伸びている。

狭い街道なのに、車は速度を落とさない。
現代は速度を緩めず突っ走り、歴史をどんどん過去へ追いやっている。

「なんだがしゃねげんと安心するんだずねぇ」
ホッとする空間には、少しばかりの感傷も混じっている。

「おまえだ、ワサワサて遠ぐの富神山が見えねどれ」
靄に霞んだ白鷹の丘陵を隠すようにルドベキアは咲き誇る。

柿の雄花はポタポタ落ちて、自分の役目を終えたと安心しながら地面に還る。
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