◆[山形市]両所宮初詣・銅町・千歳橋 神社満杯、河原静寂(2013平成25年1月1日撮影)

フェンスの隙間から枯れ草が脱出しようともがいている。
今年最初の穏やかな日差しは、金網や枯れ草を明るく浮き立たせている。

「傾斜がきついど大変だねっす」
「これぐらい、今までの人生ど比べだらたいしたことないっだなぁ」
アンダーパスを走り去る車は排気音を反響させ、溶け出した雪は壁をダラーッと垂れ下がる。

「なんだが和むぅ」
自販機がいて、樹木が並び立ち、椅子まで置いてある。
小さなスペースでも工夫次第で空気は変わる。

「ころばねように気ィつけでな」
「ころばねど覚えらんねごどもあっべず」
痛みを覚えて成長する。

「道ぃ、キロキロだがらなぁ」
「キロキロていうげんと、家まで100メートルくらいしかないべぇ」
数キロ歩くくらい疲れる日陰の道はキロキロ。

「カールの袋だて、食べ終わったら細ぐたたんで結ぶんだじぇ」
「こごでほだなごどしてんのいねべな」
とにかくなんでも結びたがる日本人。

「時々燃やさんねものどが、神様さ関係ないものまで袋さへっで持てくんのいんのよねぇ」
「こごはゴミ焼却場んねくて、去年の厄ば焼ぐ場所なんだべねぇ」
「ま、当だてもいねげんと、ほだなもんだべな」

「まんず、甘酒飲まねど今年も始まらねべ」
冷たい大気の中へ湯気を立てるのがたまらない。

人々は身の丈にあった会話をしているのに、影は大きくなって大風呂敷を広げている。

「おらだのおがげで人間は温い甘酒ば飲むいんだべぇ」
「んだずぅ、おらだの事も分がてけろずぅ」
裏方のボンベは身を寄せ合って寒さに震える。

「天気いいくていがったもなぁ」
新年の挨拶を1メートルの距離で交わし合う。

青空が空の大半を占めた元旦。
人々は三々五々両所宮へ集まってくる。

大忙しの神主さんが廊下を渡って行く。
ガラス戸には日差しを浴びた日の丸がくっきりと映り込んでいる。

「いやぁ、凄い人だかりだもなぁ」
「六椹八幡神社どどっちが人うがいべ」
北の両所宮、南の六椹。それぞれ比べるものでもないけれど。

「石橋渡んのおかないっけぇ」
「正月早々転んでらんねしねぇ」
初詣を終えた人々が、オシドリ見たさに石橋を叩かずにそーっと渡る。

「人間は二種類いるんだッポッポ」
「男と女がッポッポ?」
「パン屑ばける人間と、けね人間だッポッポ」

梢から伸びた光は噴水を白く輝かせ、人々の背中や帽子にも張りついて発光する。

「自然にコンコンと湧いでくるんだじぇ」
「こだい清らかな水が街の中で湧ぐなて不思議だずねぇ」
自然にニコニコと笑顔がこぼれる新年の家族。

「青い空てどだな味がするんだべ」
チョロリと炎の舌が舐めている。

「まだ、こごさいだのがぁ。来るたんび撮ってる気がするんだげんと・・・」
「好ぎでこごさいんのんねんだずぅ」
ふかふかの枯れ葉。温かい壁のぬくもり。
疲れた自転車には、意外と居心地がいいのかもしれない。

埋められたタイヤを仲間に引き入れようと、枯れ葉たちは覆い被さって地中へ引き込む。

「雪入ってたぁ」
「走てばりいっからよぅ」
ぎっこんばったんは親子の会話をまぶしげな表情で聞いている。

「鉄瓶28号だが?」
空に浮かんだのは鉄瓶の湯気と思わせるような、穏やかな元旦。

銅町はオブジェの街。車でただ通りすぎるにはもったいない。

「おっと、ごめんなさい。ついうっかり入り込んでしまたっす」
監視カメラが見つめているようで、咄嗟にきびすを返して大通りへそそくさと戻る。

「両所宮は黒山の人だかりだっけのに・・・」
河原には誰もいず、遠くに見える白山の雪だかり。

寒風が耳元を吹き抜けていく。
なんと寂しい光景。ガクッと折れたか細い茎が風に揺れている。

「河川敷の方が安心して山ば眺めながら走るいがらぁ」
おじさんが遠ざかる。おじさんの言葉は河原に漂い徐々に冷えていく。

「元旦だていうのに、河原は去年から眠りについっだまんまだなぁ」
首をすぼめて千歳橋を後にする。

「天気いいど真っ正面さ真っ白い月山が見えんのよねぇ」
普段通り慣れた道が、今年もいつも通りに活動を開始した。

「夢見んのは自由だげんともよぉ、今年も地道に歩いでいぐしかないのっだず」
身の程を知り、自分の足で、自分の歩幅で、自分の長靴で歩いていくのがいいとおばさんは教えてくれる。
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